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鼈の独り言(妄想編)

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スティーブ・ジャクソンのソーサリーシリーズ ~一瞬だったゲームブックブームの最高傑作~

 人類が意識・無意識な作為を排除した乱数を創作する器具、賽を発明したのはおよそ7000年前と言われている。最初賽は『賽銭箱』という言葉が示すとおり神の意思を告げる神具であったが時代が下がるにつれて遊具として広く用いられるようになった。正方体の対面に1-6,2-5、3-4と合計が7になるように作成したいわゆる「サイコロ」はほぼ全世界で用いられる遊具になっている。このサイコロを使った遊戯はたくさんの種類があるが20世紀後半の数年間爆発的に流行した「ゲームブック」という遊戯があった。今回はそのゲームブックの中でも最高峰と言われる「スティーブ・ジャクソンのソーサリー」を考察したい。

 賽が遊戯に使用され始めたのはおよそ5000年前のエジプトだと言われている。現在のバックギャモンの原型になったセネトと呼ばれる遊戯でサイコロを振って出た目の数だけ盤上の駒を動かし自陣に入れるのを競うゲームであった。サイコロを使う遊戯はこのような駒を動かすいわゆる双六と呼ばれる遊戯や出る目を予測して当てるような遊戯の時代が長かった。現在のパラメーターと乱数を組み合わせて結果を決めるような遊戯は実は軍事学から移入されたものである。
 1820年代にプロイセン陸軍で導入された兵棋演習で偶発的な勝敗を決めるためにサイコロが用いられるようになる。この兵棋演習を各国が採用し日本でも明治期に導入している。有名な話であるが太平洋戦争のミッドウェー海戦直前に行われた兵棋演習で米軍の攻撃を受けサイコロの目が「命中九発」であった所を当時の連合艦隊参謀長宇垣纏少将の鶴の一声で「命中三発」とした逸話がある。ミッドウェー海戦の顛末を考えると複雑な思いがあるがこの時の兵棋演習の基本的な所は現在のウォーゲームとあまり変わらないのが感じ取れる。
 第二次大戦後アメリカで兵棋演習を簡略したボードゲーム(ウォーゲーム)が発表され人気を博するようになる。このボードゲームのバリエーションとして指輪物語などのファンタジー要素を取り入れ、扱う駒も戦士や魔法使いなどをモチーフとしたフィギュアを使うゲームが発表され1974年には初のファンタジーテーブルトークRPGである「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(D&D)が発売されるのである。
 D&Dはゲームマスターが作ったシナリオを複数のプレイヤーが協力してPLAYしていくというスタイルで進行はゲームマスターの裁量に委ねられておりグループ内のコミュニケーションが重要になってくるという新しいゲーム感覚が話題を呼び人気を博したのである。
 好評だったD&Dだが一人ではPLAYできないという問題点があった。ソロプレイ用のシナリオも発表されていたのだがシステムが煩雑すぎ手軽にPLAYできるものではなかった。こうした中イギリスで二人のゲームデザイナーが新たなゲームを創作したのである。

 1975年イギリスでゲームズ・ワークショップ社が設立される。立ち上げたのはイアン・リビングストンとスティーブ・ジャクソンのルームメイト同士であった。設立当初同社はD&Dの輸入販売を手がけていたが1977年にテーブルトークRPG専門誌を創刊、独自のゲームデザインを模索するようになる。
 当時「ゲームブック」や「アドベンチャーブック」の名称でいわゆるテキストアドベンチャー形式の書籍は存在していた。二人はこのゲームブックにRPGの要素を加えることを模索、出版社ペンギンブックス編集者にこの案を打診し出版を提案する。この結果二人の共著である「火吹山の魔法使い」が刊行されることになった。発刊当初「火吹山の魔法使い」は話題にならなかったが手軽にロールプレイングゲームができると徐々に評判になりベストセラーとなる。大当たりしたゲームブックは「ファイティング・ファンタジー」シリーズとして続刊していくことになる。
 ファイティング・ファンタジーシリーズの作者の一人として名を連ねることになったスティーブ・ジャクソンであったが彼はシステムはほぼ踏襲するもののファイティング・ファンタジーシリーズとは別個のゲームブックの腹案を持っていた。それが「ソーサリーシリーズ」として世に出ることになるのである。

 「ソーサリー」シリーズはカクハバートという世界を舞台に奪われた「王たちの冠」を奪還することを目的とした物語で全4巻のゲームブックで構成されている。それぞれの巻は単独でPLAYできるようになっているが1巻から通してPLAYした方がより世界観を楽しめる。各巻が一つのクエストとなりキャンペーンをクリアすることを目的としていると言っていいだろう。
 ゲームシステムの特徴としては「魔法」の設定があげられる。ファイティング・ファンタジーシリーズでも魔法の要素はあったがあくまで選択肢の一つとして魔法が使えるといった程度だった。「ソーサリーシリーズ」では全48の魔法が用意され戦闘や要所要所で魔法を唱えるという選択が出る。現在では主流のマジックポイントという概念は存在せず魔法を唱えるごとに設定された体力を失う、つまり体力がマジックポイントを兼ねているという設定になっているのである。
 見逃せないのがジョン・ブランシュの挿絵である。独特のおどろおどろしい挿絵は妖精が飛び交い華麗な甲冑を着けた騎士が活躍する場面とはほど遠い、むしろ生活臭というか体臭が臭ってきそうな雰囲気を醸し出しているのだがこれが作品に強いインパクトを与えているのである。

 英国で1983年に発刊された初刊「The Shamutanti Hills」は1985年に日本語版「魔法使いの丘」として発刊されるや一大ブームになる。どれだけブームになったはと言うと最終刊「The Crown of Kings」が1985年にイギリスで発刊されたのだが同年中に日本語翻訳版「王たちの冠」が発刊されたのを見れば理解出来るだろう。娯楽としてのゲームブック人気は一気に高まりゲームブック専門誌とも言える「ウォーロック」が創刊され日本人ゲームブックデザイナーも誕生していった。しかしこのゲームブック人気は長く続かなかったのである。

 ゲームブックの誕生とほぼ同時期に「ウルティマ」「ウィザードリィ」と後のコンピューターRPGの源流となる作品が発表されている。それぞれのゲームデザイナー、リチャード・ギャリオット(ロード・ブリティッシュ)とロバート・ウッドヘッド両氏共ゲーム開発の目的は「D&Dを一人でPLAYしたかったから」と語っている。つまりゲームブックとコンピューターRGBゲームの源流は同じところであった。そしてこの二作品の影響を受けたファミリーコンピュータ用ソフト「ドラゴンクエスト」が1986年にリリースされ大ヒットを記録したのである。これまでのPC用RPGはPLAYに十数万円以上するパソコンを購入する必要があったのに対しハードとソフト併せて二万円ちょっとでお手軽に本格的RPGが楽しめ、それまでシューティングやアクションゲームと子供のものだったゲームを大人も楽しめるという趣味にまで発展させたことで画期的な出来事であった。そしてコンシューマ機でのRPGの普及はゲームブックを一気に衰退させたのである。パーティーを組んでの複雑な戦闘処理、世界観を形作るグラフィック、複雑なシナリオ等々ゲームブックではとうてい再現不可能な要素であった。コアなファンが多く代替えの効かないテーブルトークRPGと違いゲームブックプレイヤーがそのままコンシューマRPGプレイヤーに流れても仕方ない状況だった。その結果ゲームブックというジャンルは衰退しスティーブ・ジャクソンもソーサリーシリーズを超えるゲームブックを作ることは出来なかったのである。

 2000年代に入りソーサリーシリーズを含むゲームブックの再版が行われているがかっての勢いを取り戻すことはなかった。現在はソーサリーシリーズの単行本よりも軽いスマホでどこでもRPGが出来る時代である。もはやゲームブックがブームになることは無いだろう。しかし短いながらサイコロ二つで熱くゲームを楽しめる時代が存在したことを自分は忘れることができないのである。
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 ソーサリーシリーズの日本語版、右が東京創元社版の「王たちの冠」左が創土社版の「シャムダンディの丘を越えて」PLAYのしやすさは創土社版の方に軍配が上がりそうだが翻訳者の拘りが東京創元社版のファンを捉えきれなかった感がある。個人的にもミニマイト=豆人はちょっと思うところがある

by narutyan9801 | 2019-05-06 17:27 | 妄想(その他)