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鼈の独り言(妄想編)

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メシエカタログ ~コメットハンターの拘りがつまった「紛らわしいものリスト」~

 コメットハンターと呼ばれる人々がいる。夜空に突如現れる彗星をいち早く探し出す人々たちのことである。現在彗星の発見は地球近傍小惑星自動探査プロジェクトがいくつか稼働し人が直接観測して新たな彗星を発見することは希になってきているがそれでも地道に夜空を観測しているアマチュア天文家も多い。現在のような観測機器がなかった時代、彗星の発見は簡素な天体望遠鏡と観測者の腕にかかっていたが他の天体の誤認も多く発生していた。今回は彗星探査の際彗星と紛らわしい天体の除外を目的として作成された「メシエカタログ」を考察したい。

 メシエカタログを作ったシャルル・メシエは1730年生まれのフランス人で1751年にフランス海軍天文台の助手となり天文観測に従事することになる。天体観測者となった彼が没頭したのは「ハレー彗星の再発見」であった。エドモンド・ハレーが1757年に回帰すると予言した彗星の再発見にメシエは情熱を注いだのである。メシエは1759年1月21日にハレー彗星を再発見するがすでにその一月前にドイツ人ヨハン・ゲオルク・パリッチュがハレー彗星再発見を果たしていたのだった。ハレー彗星再発見一番乗りを逃したメシエに誹謗中傷が殺到する。普通ならば腐ってしまってもおかしくない状況であったがメシエはこの状況に逆に発奮する。レクセル彗星(観測史上最も地球のそばを通過した彗星)などを発見したメシエはフランス国王ルイ15世から「彗星の狩人」と呼ばれその名声は揺るぎないものになったのであった。

 名声を得た後も天体観測を続けたメシエではあるが夜空にはメシエを悩ますものが存在した。彗星は太陽に近づくと揮発性の物質が蒸発し天体望遠鏡での観測ではぼやけて見える。しかし夜空の天体には当時の天体望遠鏡では彗星によく似た見え方をする天体も存在したのである。恒星が球状に集まっている散開星団や球状星団、星間ガスなどがまとまった星雲、銀河系外の別の銀河などは当時の光学機器の精度では彗星と区別が付きにくかった。誤認の多さに業を煮やしたメシエはあるアイデアを思いつく。見間違えやすい天体をリストアップして誤認を防ごうとしたのである。それまで知られていた誤認しやすい天体にメシエ自身が発見した天体を合わせて発表し彗星との誤認を防ぐという考えであった。
 このリストアップにメシエが天体観測と同じぐらい情熱を注いだのが「数字の切りの良さ」であった。リストを纏めていくうちにリストアップした天体の数が「39」になりそうになるとメシエは「1個追加して40にしよう」とするのである。様々な文献を漁っていくと1660年にポーランド人天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスが星雲らしいものを見つけたという情報があった。メシエが自身の望遠鏡で確認してみると星雲はなく重なるように見える二つの恒星が見えるだけであった。しかしメシエはこの二重星をリストに加えてしまうのである。
 しかし話はここでは終わらない。リストが40個になりやれやれと思ったかは分からないが彼が本業の彗星探索をしていると自分で紛らわしい天体を一つ見つけてしまうのである。そこで彼が取った行動は「あと4つ加えて45個にしよう」というものであった。しかしそう簡単に適当な天体は見つからない。そこでメシエがリストに載せたのは紀元前から知られているオリオン星雲や昴(ブレアデス星雲)などおおよそ初歩的な天文学を学んだ者ならば彗星と見間違えることはないであろう天体だった。彼の切りの良い数字へのこだわりは並大抵のものではなかったのである。
 好意的に見ればメシエのカタログ作りは彗星と紛らわしい天体のピックアップから「彗星状」天体の網羅と制作目的が変わったため過去に観察された星団や既知の星団を遅まきながら取り込もうとしたと解釈することもできる。しかし観測結果で彗星状天体の存在が確認されなかった40番をカタログに加えたのはやはり不可解に感じる。
 ともあれ彼の拘りも含めて1774年にメシエカタログとして45個の天体が発表される。その後も彗星と間違えやすい天体の発見は続き彼の生前に計103個の天体が追加記載されることになる。さらに彼の死後残された資料から彼が発見していたと思われるが記載しなかった天体が7つ加えられ現在のメシエカタログは110の天体が記録されている。ただ記載位置に天体が存在しないものもある。行方不明天体の大部分はメシエの記録の間違い等でその後同定されたが102番目の天体の正体は現在も議論が続いている。

 現在は観測技術が発達しメシエ天体が彗星発見の邪魔になることはほぼ無くなっている。コメットハンターから目の敵にされることの無くなったメシエ天体を使った面白い試みがなされてる。メシエが活躍していた時代の観測器具で発見された天体は現在の観測機器であれば容易に観測が可能である。そこで一晩でメシエ天体をより多く観測するという「メシエマラソン」という天体観測がある。北緯25度前後で3月中旬から4月上旬であれば一晩ですべてのメシエ天体を観測することも可能と言われている。作成の動機とは全く違った用途に使われるのは地下のメシエも驚いているだろうが同時に満足していることだろう。
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メシエカタログ104番目に記載されているソンブレロ銀河。メシエ自身がカタログに記載した天体は1784年に発表した103番まであり104番以降は死後彼の研究結果を基に追加記載されている。最後の発表からメシエの死まで30年以上の時間があるが身体の衰え(転落事故の後遺症があったと言われる)やフランス革命の影響でメシエカタログは追加されることは無かった。
 

by narutyan9801 | 2019-05-03 11:28 | 妄想(天文) | Comments(0)