鼈の独り言(妄想編)

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「春の目覚め」作戦 ~ハンガリーからソ連軍を駆逐しようとしたヒトラーの賭~

1945年4月時点でナチスドイツの敗勢は誰の目にも明らかであった。既にソ連軍はドイツの首都ベルリンから約80kmのオーデル川に到達し準備ができ次第ベルリン攻略に乗り出す体勢を整えつつあった。この情勢でもヒトラーの目はドイツ国外に向いていたのである。今回は第二次大戦ドイツの最後の攻勢と言われる「春の目覚め」作戦を考察したい。

 1944年6月のパグラチオン作戦終了後ドイツ正面では戦線整理と前線部隊の補充再編成を行っていたソ連軍であったがドイツと同盟関係にあった東欧諸国への攻勢は続けていた。ドイツの同盟国だったハンガリーは一時枢軸国側からの離脱を計るがドイツが支援するクーデターがあり引き続きドイツ側に留まっていた。ソ連軍はハンガリー領内に侵入し1944年10月29日にはハンガリーの首都ブダペストを包囲する。約4ヶ月の包囲の後ブダペストは陥落しハンガリーの大部分はソ連占領下に置かれたのである。
 この状況下でヒトラーはハンガリー国内のソ連第3ウクライナ方面軍を一掃し軍事的脅威を除く攻勢を計画する。すでにソ連がドイツ国内に進軍しておりベルリンへの攻勢も間近と思われたこの時期に戦局には直接関与しないと思われた地域への攻勢は無意味とほとんどのドイツ軍首脳は考え作戦へ反対したがヒトラーは強引に作戦準備を推し進める。ヒトラーからすればハンガリーはドイツ国内では算出しない石油を供給する地であり何より中央・東ヨーロッパ最大の都市であるブダペストの領有は政治家ヒトラーの信念でもあった。軍事力が激減し軍事的に保持占領が不可能となっているブダペストを奪回しようとするヒトラーの信念はもはや狂気と言ってもいい状態だったといってもいいかと思う。

 作戦はブダペスト南西、バラトン湖周辺で計画された。当時この地域にソ連第3ウクライナ方面軍の主力が展開しハンガリー西方に残るドイツ軍を攻撃すべく準備を行っていた。ドイツ軍は東西に細長いバラトン湖の東側と西側から同時に攻勢をかける作戦を立案する。主攻勢は東側でバラトン湖東岸を進撃しその後北東と東南の二方向に分かれて進軍し北東側はブダペストへ進撃、南東側はドナウ川西岸を制圧しつつ第3ウクライナ方面軍の撃滅を計る予定であった。西側の攻勢はバラトン湖を迂回進撃し東側南東攻勢と呼応して第3ウクライナ方面軍を攻撃する手はずになっていた。これとは別にハンガリーとユーゴスラヴィアの国境付近から同地に駐屯するE軍集団の二個軍団が北進して包囲網に加わることが計画された。計画の上では壮大な包囲殲滅作戦が展開される予定であった。
 「春の目覚め」作戦の主役となるバラトン湖から出撃する兵力は南方軍集団隷下の第6SS装甲軍と第6軍が投入されることとなった。しかし参加兵力のほとんどがフランスで行われた「ラインの守り」作戦(バルジの戦い)やハンガリー国内の戦闘で消耗し再編成を行った部隊であった。既にドイツの国力は払底しており親衛隊全国指導者ヒムラーの権限で優先的に装備を補充されたSS部隊もほとんどが部隊定数を満たすことが出来ていない状況であった。人員の補充はさらに困難で歩兵の一部にはドイツ海軍の水兵を即席訓練を行って充当させている。南から北上するE軍集団は元々が占領地区などに駐屯してパルチザン討伐などに当たる部隊であり本来なら攻勢に投入すべきではない部隊で更に度重なる戦闘に従事しており部隊は損耗、疲弊した状態になっていた。このような問題を抱えては居たがドイツ側は約14万人の兵員が集められ作戦に投入されている。対するソ連第三ウクライナ方面軍は45万人の兵力を保持しており戰車などの数量も圧倒していた。さらに諜報活動によりソ連軍はドイツ軍がハンガリーで攻勢を計画していることを察知しており防備を整えて待ち構えていたのである。兵力が拮抗する戦線でドイツ軍の攻撃が予想された戦線でソ連軍はドイツ軍に先だって攻勢をかけ主導権を奪おうとする奇襲戦術を採る場合もあったがハンガリー戦線はソ連軍には二次的な戦線であり投機的な戦術を採用する必要は無かったといえる。ソ連軍はSS装甲軍への対抗のため「パックフロント」と呼ばれる対戦車陣地を構築してドイツ軍を待ち構えていたのである。

 「春の目覚め」作戦は1945年3月6日に発動される。バラトン湖東岸を進撃する部隊は当初は順調に進撃できたがソ連側の激しい抵抗と折り悪く雪解け水の泥濘が発生し次第に進軍速度は低下し3月15日に20㎞ほど前進したシモントルニャに到達したところで完全に停止してしまう。またバラトン湖西岸部隊と南方のE軍集団はソ連側の抵抗でほとんど前進できない状態であった。
 3月16日ソ連側はブダペストの西から逆に進撃を開始する。この進撃はハンガリー国境を超えてオーストリア国内に侵入しようとした野心的な計画であった。この攻勢はバラトン湖東岸進撃部隊の後背を扼するもので包囲の危険を察知したドイツ軍部隊はヒトラーの死守命令を無視して西へ後退、ついにはハンガリー国境を超えオーストリアまで撤退してしまい「春の目覚め」作戦は完全に破綻、ヒトラーの賭けは失敗に終わるのである。

 「春の目覚め」作戦の失敗の原因は根本的に言ってしまえば「攻勢に出るには兵力不足であった」に尽きよう。兵力差を考えれば作戦の成功は万に一つも無かったと言える。結果的に見れば「春の目覚め」作戦は消耗していたとはいえ貴重な機甲師団を敵の前面に投入してすり減らせるだけの作戦だった。しかし春の目覚め作戦で進軍したわずか20㎞はドイツ機甲師団が見せた最後の進撃であったことはおそらく間違いないだろう。

 ドイツの同盟国とはいえ第二次大戦でハンガリーが被った戦災は多大なものであった。現在ハンガリーでは公の場での「鍵十字」(ナチスの紋章)「矢十字」(ナチスに同調してクーデターを起こした矢十字党の紋章)や「鎌と槌」「赤い星」(両方とも共産主義の象徴)の使用を刑法で禁止しているのである。

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by narutyan9801 | 2018-01-22 00:51 | 妄想(軍事) | Comments(0)