鼈の独り言(妄想編)

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グルカ兵 ~山岳地帯が生んだ精強な戦士たち~

 管理者の小学生時代愛読していた漫画に「劇画太平洋戦争 激突!戦車部隊(7)」という漫画があった。太平洋戦争中の旧日本海軍の主力戦車「九七式中戦車(チハ車)」乗車兵の物語でガールズ&パンツァーブームのこのご時世ちょっと見直されても良さげな漫画である。この漫画で密林の仲から唐突に銃撃を受けるシーンがあるのだがその際戦車長が「グルカ兵だな」と看破する台詞がある。この漫画では「グルカ兵」がなんなのか具体的に説明しておらず管理者も成人後自力で(と言うより自費)調べてみるまで実態は知らなかったのである。今回はこの「グルカ兵」を考察したい。

 一般にグルカ兵は「グルカ族出身の傭兵」というイメージがあるがこれは正しくない。元々はネパールの一地方名、そしてそこに暮らすヒンドゥー教を信仰する少数民族を示す言葉であった。ネパールには元々はヒンドゥー教徒は住んでいなかったのだが14世紀にインド北部のヒンドゥー教徒が移住を行っている。当時カトマンズ盆地では三つの王国がしのぎを削っていたが外部にはほとんど警戒を払っていなかった。ネパールに定住したヒンドゥー教徒は自分たちの王朝を立て三王国を滅ぼしカトマンズ盆地を統一することに成功する。この王国は「ゴルカ朝」と称することになるが英語での発音は「グルカ」に近かったので西欧圏ではこの王朝を「グルカ朝」王国内の民族を「グルカ族」と呼ぶことになるのである。

 グルカ朝に滅ぼされた三王国の王族はインドへ逃れ当時インド支配を固めつつあったイギリスにカトマンズ盆地奪回を懇願する。これに応えイギリスは小規模な部隊を派遣するがネパール軍に撃破されてしまいイギリスのネパール侵攻は一時的に凍結されることになる。

 グルカ朝はその後も積極的な対外侵攻を行うが隣国チベットとの紛争が生じチベットの宗主国である清の侵攻を招いてしまう。首都であるカトマンズ近郊まで侵攻されたグルカ朝は清の宗主権を認め属国として存続する道を選択、その後勢力拡大の方向を南に求めたグルカ朝は次第にインドへ圧力をかけるようになっていったのである。

 当時インドではイギリスの東インド会社による植民地支配が進行中であったがそれに反抗する勢力が各地で反乱を起こしていた。ここでグルカ朝が介入してくると抵抗が激しくなる懸念もありイギリスはグルカ制圧を行うのである。
 グルカ戦争と呼ばれるこの戦闘でイギリスはグルカ朝を屈服させることに成功するが山岳地帯でのグルカ部隊はイギリス軍に頑強に抵抗しイギリス軍はしばしば苦境に立たされている。他方グルカ族はインドにも多数暮らしているヒンドゥー教徒であるがヒンドゥー教の特色であるカーストはインドのそれほど絶対的ではなくそれでいて命令や規律に関しては厳密に守る民族性を持っていることにイギリス軍は着目し戦争中からイギリス軍はグルカ側から脱落した勢力の兵士を非正規軍に編入させることを行っている。
 1816年にスガウリ条約が批准されグルカ朝はイギリスの保護国となるがネパールの自治権はほぼ保障され王国としての面目は保たれることになる。他方イギリスはグルカ朝を通さず直接グルカ族と傭兵契約が出来ることを認めさせ5000人のグルカ族を傭兵として自軍に編入させるのである。インド大反乱(セポイの乱)の際グルカ傭兵は14000人が乱鎮圧に参加、多くの戦果を上げている。イギリスはグルカ兵の策源地であるゴルカ朝の存続に配慮しイギリス領インド帝国の成立後もゴルカ朝(実質上宰相家に簒奪されていて形骸化していたが)の自主性は存続させ1923年にはイギリスから独立国と認められている。この間もイギリスはグルカ兵を雇い入れている

 第二次大戦でもイギリスはグルカ兵を戦線に投入させている。特にインパール作戦では多数が投入され日本軍の撃退に大きな功績を残している。その後も第二次大戦後半、朝鮮戦争、そしてフォークランド紛争、湾岸戦争、イラク戦争に至る現在の戦闘地域でもグルカ兵は傭兵として戦場に姿を現している。フォークランド紛争では真偽は別としてグルカ兵が攻めてくると聞いたアルゼンチン軍に逃亡者が出たという逸話も伝わっている。

 グルカ兵の選抜は現在も独特な方式をとっていると言われている。イギリス軍のスカウトがネパールの山村を巡りめぼしい人材を見つけ雇用するのである。しかしグルカ兵は軍隊内では英語を使わなければならずさらに入隊に必要な基礎体力を養っておかなければならない。そのため現在はネパール国内にはグルカ兵養成所が設立され基礎的な訓練を施された人材をスカウトする方式が取られているらしい。さらに入隊後軍隊で必要な知識や技術を学ぶ訓練所が設立されているとされる。以前はイギリス軍内で「グルカ」という呼称は一部上級者のみで一般の兵士は訓練所の所在場所の名称で呼ばれていたらしいが現在は「グルカ」という呼称に一定の価値が見いだされており一律に「グルカ」という呼称が使われているそうである。

 一般にはグルカ兵は特徴的な「ククリ」と呼ばれる前方に湾曲した刃物から連想されるのか格闘戦を主体とする軍隊と思われがちであるが彼らは格闘戦を主体とはしていない。彼らは非常に小柄で格闘戦では大柄な兵士に圧倒されてしまう。彼らの持ち味は厳しい地形を素早く行軍し有利な地形から火力で敵を圧倒することである。19世紀のグルカ兵の写真にはしばしば彼らの身長とは不釣り合いな当時最新式のスナイドル銃を装備した姿を写したものがあるがその姿が彼らの主任務が何かを物語っている。

 グルカ兵は現在も「短期雇用」扱いである。雇用契約が終われば除隊して次の仕事を見つけなければいけない。契約から解き放たれた彼らの仲には経験を活かして紛争地域のゲリラ勢力に身を投じるもの居たと言われる。現在は退役したグルカ兵の再就職を斡旋する民間軍事会社も存在する。決して裕福といえないネパールではグルカ兵の存在は貴重な外貨獲得の手段となっているのである。

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by narutyan9801 | 2018-01-08 10:49 | 妄想(軍事) | Comments(0)