鼈の独り言(妄想編)

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宇野勝 ~「ヘディング事件」から本塁打王を獲得した名?選手~

 人間誰でも「ミス」は起こすものである。時として人生を左右しかねない重大な場面でミスをしてしまう人も多い。特にスポーツ選手などは一つのミスが選手生命を左右しかねないということもある。しかし中にはそんなミスを逆手にプロスポーツ選手として長年活躍してゆくきっかけを掴む選手も存在する。今回は「世紀の珍プレー」を演出した宇野勝元選手を考察したい。

 宇野勝は1958年生まれ、1977年のドラフト三位で中日に入団し入団二年目の1979年には12本塁打を放ち頭角を現すが、この年25個のエラーを記録し、自身初の失策王に輝いているのである。ボールやグラブの質が悪かった時代ならばともかく、近代のプロ野球、それも内野の守備の要であるショートではかなりのエラー数と言える。それでも宇野のバッティングは評価され、中日のレギュラーとして定着する。そして1981年8月26日、後楽園球場で伝説の珍プレーを演出してしまうのである。

 この日中日のマウンドに立ったのは2013年現在東北楽天イーグルスの監督を務める星野仙一。この日星野は並々ならぬ決意を秘めてマウンドに上がっていた。この時の巨人は前年8月4日の試合から158試合完封負けが無く、星野は同僚のの小松辰雄とどちらが巨人を完封するか勝負しており、気迫の投球を行っていたのである。星野の前に巨人打線は沈黙、6回まで二安打と完封ペースで試合は進んでいた。

 巨人の7回裏の攻撃も二死二塁となり、ここで巨人は代打に山元功児を送るが、山元は打ち上げてしまいショート後方にフライが上がったのである。
 ピッチャーの星野は討ち取ったとベンチに引き上げかけ、レフトを守っていた大島康徳も宇野に捕球を任せていた。一方ツーアウトだったため一塁走者の柳田俊郎はスタートを切っており、落下地点に入ろうとしていた宇野の脇を駆け抜けようとしていた。そして宇野本人はおぼつかない足取り(本人によるとスパイクが人工芝に引っかかりそうになっていたそうである)で落下地点に入ったものの、照明の明かりでボールを見失ってしまいあろうことかおでこ(右側頭部)でボールを受けてしまう。ボールは宇野の背後に居た大島の頭上を越えてレフトフェンスまで転がっていきその間に走者の柳田がホームインしてしまう。慌てて本塁のカバーに入った星野はこの状況を見てグラブを叩きつけてしまう。

 この試合は結局星野が完投し、2-1で中日が勝利している。星野には自責点は付かなかったが、完封は出来なかった。巨人の連続得点試合が止まるのはそれから一ヶ月後、星野の賭の相手だった小松投手が完封勝利を挙げるまで173試合連続得点を続けることになる(現在の日本記録は215試合連続得点)

 宇野はこの試合後、星野に「飯でも食いに行くか」と誘われるがちょうど田舎から兄が上京しており誘いを断っている。この話に尾ひれが付いて「食事に誘われて車で移動中、星野の車に宇野の車が追突した」などという伝説が生み出されることになる。それでも宇野本人はこのエラーは(本人なりに)相当気にしていたそうである。

 しかし、そこはさすがに宇野勝、この翌年の4月24日、大洋戦でユニホームを忘れてしまった宇野は飯田幸夫コーチの77番のユニホームを借り(当時の宇野の背番号は7番、事前に審判団と大洋側に近藤貞夫監督が了承を取り付けている、後年宇野がコーチとして中日のユニホームを着たときには77番の背番号となった)野次の飛び交う中ホームランを打つ「ユニホーム忘れ事件」を起こし、1984年5月5日には満塁で打席がまわってきた宇野が打ち上げたライトフライをライトが落球し、フライで自重していた一塁走者(大島康徳)を勢い余って追い越してしまいアウトになってしまう「大島追い越し事件」を起こしている。

 しかし宇野には天性のバッティングセンスがあり、1984年には37本塁打で本塁打王を獲得している(掛布雅之と同数)この際10打席連続四球という当時の日本記録(現在は11連続四球)を樹立している。また翌1985年には41本塁打に記録を伸ばしている。この年は阪神のバースが54本塁打を放ち本塁打王はバースになったが、遊撃手としての1シーズン本塁打数41本は最高の記録である。

 宇野は1992年にロッテに移籍するが、出場機会減により1994年に現役を引退する。実際は中日への復帰が内定していたが、中日側の監督人事の変更により立ち消えとなってしまってる。翌年から星野仙一が監督に復帰する予定で、宇野の中日復帰も星野の人事の一貫であったが、高木監督が留任になり、宇野の中日復帰は幻となってしまった。また宇野は落合博満とバッティングに関して数日徹夜で話し込んだ事もあり、落合が中日の監督に就任する際宇野にコーチ就任を要請している。決して「珍プレー」だけの選手ではなかったのである。しかし我々が思い浮かべる「宇野勝」はやはり「ヘディング事件」の宇野勝である。どこか憎めない、そんな人柄を形成したのは「ヘディング事件」があったからであろう。宇野本人も著書で「ヘディング事件」に関してこう語っている「やって良かった。感謝している」と。
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by narutyan9801 | 2013-08-27 11:00 | 妄想(人物) | Comments(0)