鼈の独り言(妄想編)

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ハリファックス大爆発 ~史上最大規模の火薬爆発事故~

 人間が「火薬」を発明したのは中国・唐の時代と言われている。火薬の発明までにはおそらく多くの事故が起こったろうし、発明以降も多くの事故が起こっている。今回は火薬の爆発としては史上最大級の規模になった爆発事故「ハリファックス大爆発」を考察したい。

 事件が起こったのは1917年12月6日早朝のことである。カナダ・ノバスコシア州ハリファックス港はこの当時第一時世界大戦の軍需品の積み出しが盛んに行われており、爆発した火薬もヨーロッパに送られるものであった。当時ドイツのUボートが夜間港内に進入するのを防ぐため船の夜間港内進入は禁止されており(港の入り口は夜間防潜網で塞がれていた)朝港を出港する船と入港する船が湾の入り口に殺到するという危険な状態がが日常化していた。そして起こってしまった衝突事故が史上最大の爆発事故に繋がってしまう。

 事故当日、衝突事故の一方の当事者になるノルウェー船籍の貨物船イモ(5,043トン)は前日給炭の積み込みが遅れ出港できず、港内に停泊して夜を過ごし、港口がらニューヨークへ向けて出港するところであった。ニモは空船でニューヨークで荷物を積載することになっていた。一方の当事者フランス船籍のモンブラン(3,121トン)は逆に到着が遅れ、港外に停泊して朝入港すべく港口に進入してきた船である。モンブランの船長は交代したばかりであったがベテランの水先案内人がガイドについていた。モンブランの積荷は火薬類とベンゼンであった。火薬類はすべて船倉に納め木材を内張りしてしっかりと固定し、木材を固定する際には静電気のスパークを考慮して銅製の釘を用いたほど入念な荷造りをしていたが、ベンゼンの積載に問題があった。

 ベンゼンは日本の消防法で第四類に指定される引火性液体であるが、このベンゼンは船倉に収まりきれず220トンものベンゼンはドラム缶に入れた上でデッキに縛り付けて固定していた。さらにモンブランは危険物を取扱中であるという国際信号機をUボートの標的になるからと掲げていなかったのである。

 朝7時30分に防潜網が開くとこの二隻以外も数隻の船が入出港すべく動き出す。ハリファックス港は北から南に開いた湾の西岸に埠頭が作られていた。船の航行は原則右側通行であるがハリファックス港は右側(東側)を通ると距離が遠くなるため原則を破って左側(西側)を通る船が黙認状態になっていた。通い慣れていたニモはそれを知っていて左側を航行し、港に入港するため同じく規則違反で左側を航行していた二隻の船とすれ違う。
 そして三隻目のモンブランが視界に入ってきたがモンブランの船長は初めての入港であり規則通りに右側を航行していた。モンブランの船長はイモに「通常航行(右側航行)に戻れ」と汽笛で信号を送るがニモは「直進する」と信号を返し進路を変更しなかった。信号のやりとりを何度かしている間に二隻はあっという間に近づいてしまい、ついには接触してしまう。

 接触したといっても舷側を擦った程度であり通常であてば重大な事故にはならなかったがモンブランのデッキに積んであったベンゼンのドラム缶が倒れ、漏れたベンゼンが引火しモンブランはたちまち炎に包まれてしまうのである。積み荷の危険性を知っていたモンブランの乗員はほとんど消火作業を行わずボートで脱出してしまう。モンブランの乗員はボートで避難する際航行する船に「逃げろ」と警告したのだが、発した言葉はフランス語でほとんどの人は理解することができなかった。そして無人となったモンブランは衝突の回避のために舵を切った状態で航行を続けついにはハリファックス港の第六埠頭に漂着し付近の倉庫にも火が燃え広がってしまう。

 もしモンブランに危険物取扱中の信号旗が掲げられていたら人々は危険を察知し近寄らなかったかもしれないが延焼をくい止めようとした人々や野次馬たちが集まる中、午前9時4分35秒に積み荷へ引火しモンブランは大爆発を起こしてしまう。
 爆発の衝撃でモンブランの船体は四散し、武装商船として装備していた大砲が4キロ先まで吹き飛ばされているのが後に発見されている。爆発の衝撃でモンブランから半径2キロの建物はほぼ破壊され、同時にハリファックス湾には爆発の衝撃で津波が発生し爆発で直接被害を被らなかった地域にまで犠牲者がでてしまっている。この爆発の衝撃波はもう一方の当事者ニモにも襲いかかり船長や水先案内人が死亡、このためニモの事故当時の航行記録を証言する者がいなくなったことは後の裁判に影響を及ぼしている。

 この爆発で約2,000人が死亡、9,000人が負傷したと言われている、当時ハリファックスの総人口は5万人と言われているので人口の約1/5が死傷したことになる。負傷者の内200人が失明を伴う負傷を負っていた。これは寒い時期で窓ガラス越しに事故を見物して爆発の衝撃で割れた窓ガラスが顔面に直撃してしまったことが原因であった。また建物の倒壊も深刻で6,000人が冬の寒空の中家を失ってしまったのである。
 事故当日より近隣の諸都市からの救助隊がハリファックスに向かい、事故翌日にはアメリカの大西洋岸の都市から医療品や医師を乗せた船がハリファックス入りし被災者の救護を行っている。特にボストンからはハリファックスに直通する鉄道が通っていたこともあり大量の支援物資が届けられた。この支援に感謝したハリファックスの市民は以後毎年ボストンに巨大なクリスマスツリーを送っている。

 事故後被害状況を調査していくと、実際の爆発よりもより大きな衝撃が生じた痕跡があちこちで確認され、その原因を調べると爆発の衝撃波が地面で反射された「反射波」の影響によりより大きな衝撃が発生することが突き止められた。これを元に初の原爆実験「トリニティ実験」では原爆を地上より高い位置で爆発させ、その効力が実証されている。これだけの大災害でも人間、ただでは起きないというところだろうか。

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             湾内を航行していた船から撮影されたハリファックス爆発直後の爆煙
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by narutyan9801 | 2013-08-19 11:05 | 妄想(事件・事故) | Comments(1)
Commented at 2015-08-19 08:50 x
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