鼈の独り言(妄想編)

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ハインケル He177 グライフ ~特異なエンジンが仇となった戦略爆撃機~

 四発飛行機の定義は「エンジンが4つ稼働する飛行機」である。四発飛行機は通常は4つのエンジンが独立して稼働(エンジンの回転数などは複数が同調して制御されるが)するのが一般的だが、エンジンやプロペラの抵抗を考えると「二つのエンジンの動力をまとめて一つの巨大なプロペラを回す方が効率的」ではある。今回はそうした設計者の理想を優先し、真の力を発揮し得なかった爆撃機「ハインケル He177 グライフ」を考察したい。

 ハインケルHe177の設計が始まったのは1936年6月、ドイツ航空省が提案したA爆撃機計画に沿った爆撃機の設計からである。このプロジェクトは旧ソ連、ウラル工業地帯を爆撃することが可能な爆撃機を完成させることであり、新制ドイツ空軍としては初の戦略爆撃機の設計となる。
 当時アメリカでは後にドイツを焦土とするB-17が正式採用されており、イギリスでも同年四発のスターリング爆撃機の開発がスタートしていた。ドイツの戦略爆撃機計画はアメリカ、イギリスと同じ時期からスタートしたといえる。しかしドイツはなまじ航空機開発のノウハウを持っていたためにアイデア先行の航空機開発を行ってしまうのである。

 前述したように出力とプロペラの推進効率が同じ値であれば、プロペラ及びエンジンナセルの数は少ない方が効率は上がる。この点にドイツ空軍及びハインケル社は着目し、ダイムラーベンツDB601液冷エンジン二つをギアボックスに繋いだDB606エンジンを開発し、一つの巨大なプロペラを回すことで効率化を計ったのである。
 この特異な設計をした背景には、He177の基本設計にも原因があった。He177には時速540kmという高速性能が要求されただけではなく、大型爆撃機には不要と思われる急降下爆撃能力までもが要求されたのである。設計社のハインケル博士は急降下爆撃能力は無理な要求であるとの認識であったが、結局は急降下爆撃能力の付加を強制されたのである。

 ともあれHe177は1939年11月に試作機が完成し試験飛行が開始される。既に第二次大戦は始まっておりドイツとしては本格的な戦略爆撃機を一刻も早く入手したいところであった。試作機は空気抵抗が少ない分操縦性が軽快で取り扱いやすい特徴を持っていたが、やはりエンジンの冷却が大きな問題になった。対策としてプロペラの後方に環状のラジエーターを取り付けることにしたが、この空気抵抗で軽快な操縦性は失われてしまう。更にエンジンの構造上の問題から発火事故が相次ぎ、設計を根本的に変えたDB610エンジンが開発されるが、このエンジンが開発されたときには既に1943年に入ってしまっていた。

 実はこの「エンジン4つにプロペラ2つ」というコンセプトの爆撃機はイギリス空軍でも悪戦苦闘していた事実がある。イギリスの開発していた「アブロ マンチェスター」はエンジンを二つギアで介したロールスロイス・ヴァルチャーエンジンを搭載していたが、結局He177と同じく機械的な信頼を得れずに通常の四発爆撃機「アブロ ランカスター」に仕様変更されている。間に合わせ的に誕生したランカスターではあるが基本設計が優秀だったこともあり大戦後半にはドイツ夜間空襲の主力機として活躍するのである。

 ドイツ空軍もおそらくランカスターの仕様変更の情報は掴んでいたと思われるが、その対応は遅くなりすぎた。既にランカスターがドイツ本土夜間爆撃に出撃している1943年8月にようやく四発爆撃型のHe177Bの設計が終わり試作機が制作されているが、戦局の悪化により翌年He177Bの試作は中止されている。

 そして本家のHe177にはそのほかにも思わぬ落とし穴が待っていた。He177のエンジンの母体であるDB601エンジンはドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットBf109のエンジンでもあり、その供給で手いっぱいでHe177に回せる余裕がなくなってしまったのである。このため日本の「首無し飛燕」と同じような「腕無しグライフ」という機体が続出してしまうのである。

 元々生産数が少なく、またトラブルが多いHe177はまとまって運用しないと役に立たない戦略爆撃機としての使用はできず、実戦の初陣はスターリングラードへの輸送任務であった。しかし本来爆撃機であるHe177の輸送能力は低く輸送実績は上がらなかった。このためHe177には空輸任務に変わってスターリングラードへの輸送路上に存在する高射砲陣地の制圧任務が与えられた。この任務でHe177は13回の出撃を行い7機が撃墜されている。戦術爆撃という本来の役割と違った任務であったが、これがHe177が行った最も「爆撃機らしい」任務であった。

 その後DB 610エンジンの供給によりエンジンの加熱問題が大きく改善したHe177は対戦後半のドイツ空軍で最も信頼性の高い爆撃機となってゆくが(それでもギアの不調は最後まで解決できなかった)、もはやドイツ空軍に戦略爆撃を行う余裕はなかった。乏しい燃料はほとんどが防空戦闘機部隊に回され、高高度を悠然と飛行し爆弾の雨を降らせる機会はHe177には巡ってこなかったのである。

 歴史の「IF」ではあるが、もし早い段階でHe177を四発化に仕様変更できていたらどうであったろうか?それでもおそらく「バトル オブ ブリテン」には間に合わなかったろう。 ただ、旧ソ連の戦略爆撃という当初の目的には間に合った可能性がある。ソ連への戦略爆撃がどれだけ有効かは未知数であるが、戦局に寄与した可能性は否定できないと思える。運用効率を重視するならばHe177はけっして悪いスタイルではなかったが技術が先進的なアイデアを生かし切れなかった悲劇の爆撃機と言えるのではないだろうか?

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  滑走路上で試運転中のHe177。本文では触れてないが、着陸装置も非常に独創的な構造になっている。
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by narutyan9801 | 2013-07-01 12:27 | 妄想(軍事) | Comments(0)