鼈の独り言(妄想編)

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TBU/TBY シーウルフ ~出番が回ってこなかった悲劇の雷撃機~

 以前米海軍雷撃機「TBDデヴァステーター」を取り上げたが、その際太平洋戦争時にはデヴァステーターは旧式化していたと紹介した。米海軍でもこのことは認識しており、太平洋戦争前には新型雷撃機の開発に着手していた。その結果実戦配備されたのが「TBFアヴェンジャー」であるが、実はアヴェンジャーと正式雷撃機の座を争い、性能では上回りながら主力雷撃機の座に就けなった機体が存在する。今回はその悲劇の機体「TBU/TBYシーウルフ」を考察したい。

 太平洋戦争直前アメリカ海軍は次期雷撃機の開発をヴォート社とグラマン社に発注し、両者のコンペティションを経て正式採用することとした。グラマン社の「XTBFー1」は戦争勃発の三ヶ月前に初飛行を行い、同年12月には量産が開始される。遅れること3ヶ月後の1941年12月22日にはシーウルフの試作機「XTBU」が初飛行を行う。XTBUはXTBFに比べてより大型の機体であったが、強力なプラット・アンド・ホイットニー社のR-2800エンジンを搭載したことにより、ほとんどすべての項目でXTBFを上回る性能を示したのである。しかし、シーウルフの量産はすぐには行われず、ようやく量産が開始するのは初飛行から2年近く後の1943年9月に入ってからになってしまう。

 初飛行で優秀な性能を示したシーウルフではあるが、空母搭載という特殊環境での運用を行うには不適当な箇所も多く、改修を行わなければならない所が多かった。特に主脚は後ろ向きに収納する方式になっていたが、魚雷を搭載してのカタパルト発艦には強度が不十分との判定を受け、改修が行われている。この点は海軍機を多く手がけたグラマン社の方が上手で、アヴェンジャーは設計当初からカタパルト発艦を考慮した強度を持たされており、海軍の実状に合わせた手堅い設計が実を結んだと言えよう。

 シーウルフにとって最大の不幸は、エンジンにP&W社のR-2800エンジンを選んでしまったことである。このエンジンは高性能であるが故に搭載機も多く、陸軍のP-48サンダーボルト、海軍のF6Fヘルキャット、海兵隊のF4Uコルセアと主要単座空冷エンジン戦闘機はすべてR-2800エンジンの搭載を予定していたのである。さすがの工業国アメリカもこれだけのエンジンを供給するのはぎりぎりのところで、要求数が戦闘機に比べて少ないシーウルフへ回す余裕は無かったのである。こうしたエンジンの「かち合い」はよくあるようで、ナチスドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)ではフォッケウルフFW190の開発で、メッサーシュミットBf109に搭載するDB601エンジンを搭載しないことという条件をつけている。日本では逆に貧弱なエンジン生産能力を集約しようと開発中の航空機のエンジンを「誉」に統一させようと努力しており、艦上戦闘機烈風の開発はこのため大幅に遅れることになる。

 1943年9月にようやく生産に目処がついたシーウルフであるが、さらに受難は続く。開発メーカーのヴォード社はこの時期F4Uコルセアの生産と空母搭載への改修で手一杯であり、生産を行う余裕が無かったのである。窮余の作として他の航空メーカーであるコンソリーデーデット社が生産を行うことになるが、コンソリーデーデット社も4発爆撃機「B24」の生産で余裕はほとんどなく、吸収合併した「旧」ヴァルティー社でシーウルフを生産することになった。しかしヴァルティー社は艦載機の生産を行ったことがなく生産に手間取り、シーウルフの量産期ロールアウトはさらに遅れ、量産機1号が完成したのは1944年11月になってしまっていた。この頃ライバルの「アヴェンジャー」の生産は順調に進み、エセックス級正規空母から護衛空母まで幅広い運用が可能でサマール沖海戦では護衛空母から発艦したアヴェンジャーが栗田艦隊を撃退しており、実戦での評価も十分なものがあった。この時点でシーウルフの活用はかなり限定されるものであることが予想できたはずである。

 しかし、米海軍はシーウルフの部隊編成を諦めた訳ではなかった。米海軍は1945年4月にシーウルフの量産機で部隊編成を始めている。既にこの時期日本海軍の戦艦「大和」もアヴェンジャーの攻撃で沈み、雷撃隊の必要性はほとんどなくなっていたはずである。それでも部隊編成を行うのは、ミッドウェイ海戦での苦い戦訓のせいかもしれない。ミッドウェイ海戦では米海軍は勝利したものの、制空権のない地域に雷撃隊を出撃させ、当時新型だったアヴェンジャーですら全滅に近い損害を被っている。それに対し日本側は飛龍から発艦した友永隊の九七式艦攻がヨークタウンを大破させる戦果を上げている。太平洋戦争後半に日本海軍が実戦配備した「天山」艦攻は性能でアヴェンジャーを上回っている部分もあり、アメリカ海軍としては「最強の雷撃隊」というものを持ちたかった…。もしかしたらそんな心境があったのかもしれない。


 しかし、1945年8月の日本の降伏によりシーウルフが実戦配備されることはなかった。戦後でももし後継機の目処が立っていなかったら少数でも部隊編成が続けられたかもしれない。しかし既にすべての面でシーウルフを凌駕し、しかもシーウルフよりサイズが小さい後継機ダグラスA-1スカイレーダーの開発が進んでおり、シーウルフにはもう活躍の余地は無かった。生産されたシーウルフは180機、実戦で魚雷を放つことは遂に一度もなかったのである。

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TBY-2シーウルフ コンソリーデーデット社生産の量産機である。主脚の収納が後方なのに注目してほしい。
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by narutyan9801 | 2013-06-18 09:10 | 妄想(軍事) | Comments(0)