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鼈の独り言(妄想編)

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岩内大火 ~洞爺丸沈没の影に隠れてしまった大火災~

 1954年(昭和二十九年)9月26日夜、北海道函館湾で洞爺丸が台風15号の暴風雨に巻き込まれ沈没した当日のほぼ同じ時刻、同じ北海道内の岩内町で火災が発生し、市街の8割が消失するという大火災が発生している。今回は一般にはあまり知られていないこの大火「岩内大火」を考察したい。

 北海道岩内郡岩内町はニシン漁で栄えた町で、港にはニシンの加工品を保管する倉庫が隣接し、その外側に住宅が建ち並ぶ街であった。大火の起きる当日は接近していた台風15号を避けほとんどの漁船が港内に避難していた。
 火災の発生時刻は午後8時15分頃、市街南西部のアパートの一室が火元である。この部屋に住んでいた住人は台風の被害を避けるために避難していたが、火鉢の火を消火せずに避難し、それが何かに燃え移ったのが出火原因とされている。木造だったアパートは瞬く間に炎に包まれ、隣家や近くの倉庫群にも飛び火して延焼範囲はどんどん広がっていった。

 火災発生直後から消火活動は行われていた。台風の警戒のため当時岩内町内にあった消防車は市内を巡回しており、火災発生の報が伝わるとすぐ現場に駆けつけて消火に当たったのだが、台風の影響で南からの強風が吹き荒れており、放水も風にあおられて飛散してしまい効果的な放水ができず、さらには消火に当たる消防士が風で吹き倒されるなど消火活動がとれないほどの風になり、消火活動は事実上放棄されてしまう。

 それでも出火場所の北側は岩内港になっており、このまま延焼しても港より先には燃え広がらず、自然鎮火が見込まれたが、当時の気象条件と港内の状況からさらに延焼がすすんでしまうことになる。
 当時台風15号は北海道西方海上にあり、岩内町で吹いていた南からの強風は台風の東側を中心に向かって反時計回りに吹き込む風であった。しかしこのとき台風の中心からは閉塞前線が東に延びており(このため現在の台風の定義ではこの時点で台風15号は温帯低気圧に変わったと判定されるかもしれない)この閉塞前線が北海道南部を横切り津軽海峡の東で温暖前線と寒冷前線に分かれていた。この境目に隠れた低気圧が存在し、台風・閉塞前線・低気圧が複雑に作用して風がめまぐるしく変わることになる。
 さらに当時岩内港内には来春のニシン漁のために多量の燃料が備蓄されていた。重油やガソリンはその多くがドラム缶で貯蔵されており、それらに火が引火したため被害が拡大することになる。

 火災が港に迫ってくる頃、風向きは南西、さらに西風に変わり、それにあおられて火も港の南側を北西に進み始める。そして火災が港に貯蔵された燃料に引火し、爆発を起こしてしまう。この爆発で火のついたドラム缶が吹き飛んで延焼を広げてしまい、さらに港内に停泊していた漁船にも火が移ってしまう。火のついた漁船は係留していたロープが焼き切れると風に煽られて港内を東に流され、港の東岸に流れ着きそこからさらに火が燃え移る状況となる。

 日付が変わると今度は逆に東からの風に変わり、港東岸から西に火が延焼してゆく。結局翌朝東岸からの火災が初めに燃え広がった港の南まで達し自然鎮火するまでに岩内町内の8割、3298戸が消失する大火災となってしまった。この火災での死者は35人、うち二人は火災で逃げ場を失い海に飛び込んで溺れてしまった人である。さらに3人の安否が現在でも不明のままである。これだけの火災(戦後地震以外の出火では3番目の規模)であるにも関わらず、同時に起こった洞爺丸事件に世間の目が向いてしまい、ほとんど知られることがなかった大火災であった。なお火元の住人は後に罰金3万円の略式判決を受けている。
by narutyan9801 | 2013-05-28 10:16 | 妄想(事件・事故)