鼈の独り言(妄想編)

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中ノ鳥島 ~40年間日本領だった幻の島~

 航空機や人工衛星がない時代、他の陸地とかけ離れたいわゆる「絶海の孤島」というものの発見は船に頼らざるを得なかった。さらに航海術が未発達な時代自らの位置も正確に掴め無いことが多く、「新たな陸地発見!」というものが実はすでに知られた陸地だったり、発見された陸地が二度と発見されないという出来事も少なくない。この「発見したと報告されたが実際には無かった」という島のことを「幻島」と呼ぶ。今回は結局幻島であったが長らく「日本の領土」として承認されていた幻の島「中ノ鳥島」を考察したい。

 中ノ鳥島の発見の報告は1907年(明治四十年)。当時の東京都都知事阿部浩から内務大臣原敬に提出された「小笠原島所属島嶼発見届」による。この報告で今の東京都文京区後楽に住んでいた山田という人物が発見、上陸して測量も行ったとある。山田はその島を周囲約6.7km、面積2.1km2の島であるとし、アホウドリが生息し鳥の糞が堆積した隣鉱石で覆われ、珊瑚礁にみられる植生もあると報告している。植生があるということは、ある程度の真水の補給が可能であるということで開発を行う点では重要な判断材料であった。
 山田はこの島を開発するために日本が領有することを望み、この新島発見の報告を受けて当時の内閣は翌年7月22日に新島を「中ノ鳥島」と命名の上日本領に編入することを閣議決定する。
 中ノ鳥島は1900年にイギリスの水路部が報告した「ガンジス島」及び「ガンジス礁」に比定されている。面白いのが島の位置の記述であり「北緯30度47分 東経154度15分」としておきながら「多少ノ差異アルニ依リ他日確定スルノ必要アルヘキ」となっている。つまり「ちょっと誤差あるからいつか確定しようじゃないか」と言っているのである。陸地さえ日本領としていれば当時「排他的経済水域」などの認識がなく海域に対してはさほどこだわる必要の無かった大らかな時代であった。

 しかし日本領に組み込まれたものの山田の報告以外に中ノ鳥島をみたという者は現れなかった。特に大正年間は開発のため大規模な探索が行われたが該当する島は発見されずいつしか「幻の島」だろうという認識が広がった。昭和に入り戦時下となると南方への輸送が増え、海図にそのまま載せていると不測の事態が起こりうる(飛行機がトラブルで不時着を行い救助を待とうとするなどの事故を招く危険性がある)ため、昭和18年に日本海軍の水路図からは外されるが、防諜の意味もあってか地図上での記載が続けられ、戦後の発行の地図にも「中ノ鳥島」が記載されているものが存在する。

 さて、「中ノ鳥島」の正体であるが、元々存在した島が数年で消滅したことは考えにくい。この付近の海底の状態はかなりよく調べられており、中ノ鳥島があったと言われる周囲数百kmではかって島だったと思われる痕跡は見つかっていない。海底火山により一時的に島ができ、短期間で海中に没することはありえるが、その場合山田の報告にある植生や隣鉱石の存在は否定される。他の島の誤認も条件に該当する島は無い。そもそもこの海域の水深は5,000mを越えており火山活動も無いため、島が形成される可能性はほとんどないと言ってよい。

 そうなると「でっちあげ」が有力になる。実は報告者の山田の経歴には島を発見するような航海の経験は皆無と言われており、島発見はおろか島を発見した航海すら行っていないのではないかという疑惑がある。なぜ架空の島をでっち上げたかの動機であるが、山田の報告書には「アホウドリが生息し」「隣鉱石が堆積し」とある。アホウドリは羽毛を取ることができ、隣鉱石は肥料や火薬の原料となる。つまり「儲け」が期待できる商品がある島であり、実際山田はこれらの採取の事業許可を申請している。山田はこの架空の島の事業の投資を「詐欺」の餌とするため架空の島をでっち上げたのではないかと思われる。投資を得るためには「国のお墨付き」があれば箔が付き、多額の投資も得られるだろう。そんな思惑があったのではなかろうか。考えてみるとなかなかスケールのでかい詐欺話ではある。

 この「山田」の後日談であるが、山田は島の開発のため組合を設立し隣鉱採掘許可も得ることができたらしい。しかし他の組合員に権利を奪い取られ、結局そんなごたごたの間に隣鉱採掘許可は期限切れとなり中ノ鳥島の開発組合は自然消滅してしまったらしい。その後の山田の足取りを伝えるものは残っていないようである。
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by narutyan9801 | 2013-05-15 18:27 | 妄想(歴史) | Comments(0)