鼈の独り言(妄想編)

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璽光尊 ~「自称天皇」の数奇な生涯~

 太平洋戦争終結から数年間、日本には幾人かの「自称天皇」が現れている。その多くは壇ノ浦で行方不明となった安徳天皇の末裔や南北朝時代の南朝末裔、また各地に流罪になった歴代天皇の御落胤といった「血筋」をその根拠にしているが、その中で「天皇の神霊が現天皇を離れ、自分を憑代とした」と称するものが存在した。今回は終戦の混乱時に騒動を巻き起こし、最後まで自称天皇であり続けた「璽光尊」を考察したい。

 のちの璽光尊となる大沢ナカは明治36年、岡山県で農家の娘として誕生している。爾光尊と名乗るようになってから実家の血筋を大名家であった池田家のご落胤の血を引いていると話しているが、確認はされていない。
 幼少期から青年期にかけてのナカはごく普通の女性として過ごしたらしい。眼科に勤める看護婦を勤めた後25歳の時に結婚し長岡ナカと姓が変わっている。

 ごく普通の生活を送っていたナカに変化が起こったのは結婚3年をすぎる頃からである。この時ナカは原因不明の高熱を発し、一時意識が混濁する。意識を取り戻したナカは周囲の人々に神について語るようになり心配した家族は精神科医の診断を受けさせる。その結果ナカは「ハイネメジン氏病」との診断を受ける。これはポリオウイルスの感染により発症する病気であるが、重症化することはほとんど無く風邪のような症状ですむ場合がほとんどである。しかしナカの場合かなり重症化してしまったようでこの後ナカの言動は次第にエスカレートしていくことになる。
 昭和9年頃からナカは「神からの掲示を受けた」と周囲に語り、さらに神からの掲示を周囲に説くようになる。この言動のためかナカは夫と離婚、自らの信者とともに上京し加持祈祷を行うようになる。やがてナカは心霊研究家であり事業家でもある峰村恭平に出会い、行動を共にするようになる。
 昭和16年に峰村が教団「璽宇」を結成するとナカも教団に参加する。しかし峰村が事業に失敗し教団活動を半ば放棄すると「璽宇」はナカの教団と化していく。さらに昭和20年5月25日の東京空襲で璽宇教団本部が焼失し、自宅でもあった教団本部を失った峰村は教団から完全に身を引き、代わってナカが教団を掌握する。
 この頃ナカは俗名を「良子」と改名する。これは時の皇后である香淳皇后にあやかって改名したと言われている。同年6月25日、ナカは自らを「璽光尊」と称することとし8月15日の敗戦を迎えることになる。

 終戦後の昭和20年11月15日、教団「璽宇」は改めて璽光尊を中心とした新興宗教として旗揚げし、教団の本部を金沢市に移動させる。そして昭和21年元旦、昭和天皇の人間宣言を聞いた璽光尊は自らの「即位宣言」を行うのである。
 璽光尊によれば、昭和天皇の人間宣言により天照大神の神霊が昭和天皇の身体から離脱し、今度は自分の身体に宿ったという。これによって昭和天皇は天皇ではなくなり、替わって爾光尊が天皇になると宣言したである。この「詔」を受けて璽宇教団は昭和に変わる年号を制定、さらに内閣を組閣、はては独自の紙幣の発行まで行ったのである。どういったつながりがあったのか詳細は不明だが組閣した「内閣」には前年に引退した元横綱の双葉山、碁の名人呉清源といった著名人も含まれており、世間の注目を集めるには十分であった。終戦直後で今後の日本の体制が定かではない状況でもあり「新天皇」に期待する信者が急増することになる。
 当時の警視庁はこの教団に対する警戒を深め、GHQの指示もあり教団内に信者になりすましたスパイを潜入させ教団の実状調査を行う。内偵で教団が警察に監視されていることに危険を感じており、密かに逃亡の準備が進められていることを掴んだ警察は、ついに強制捜査に踏み切る。
 昭和22年1月21日夜、警視庁は璽宇教団に強制捜査を行う。この強制捜査では一部信者が抵抗し、特に双葉山は教団内に入った捜査官を投げ飛ばすなどの大立ち回りを演じることになったが結局教祖璽光尊、双葉山以下8名の逮捕者を出して騒動は終結する。
 強制捜査とその後の取り調べの結果、璽光尊は現在で言う「誇大性総合失調症」と診断され、不起訴処分となる。双葉山は公務執行妨害が問われたが、これも不起訴扱いになる。捜査の規模と騒ぎに対して比較的関係者の処分は軽かった。この扱いのためか強制捜査は双葉山、呉清源といった当代一流の人物を教団から救い出すため行われたという推測が一部から流れた。そしてこれを肯定するかのように双葉山は釈放後「夢から醒めた感じだ」といい教団を脱会、二度と教団には接触しなかったのである。

 強制捜査とその後の調査が終了し、璽宇教団は罪こそ問われなかったものの、教団の規模は急速に縮小する。それでも璽光尊は少数の信者に囲まれ「自称天皇」のまま生きていくことになる。「皇居」を転々と移動させ、最後に落ち着いたのが横浜であった。
 璽光尊事件から30年以上過ぎた1983年夏、璽光尊は体調を崩す。自覚症状はあったらしいが現人神の自尊心か、はたまた信者が現人神が俗世の医学に汚されるのを拒絶したのか医療機関の診察を受けずに昭和58年8月16日璽光尊は「崩御」する。その亡骸は復活を信じる信者により残暑厳しい時期にも関わらず三日間床に横たえられていたという。
 
 複数の天皇が現れ、そして消えていった中で、最後まで「天皇」であり続けた爾光尊、その「崩御」は一般的には惨憺たる最後に見えるが、ある意味この「現人神」にふさわしい最後であったかもしれない。
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by narutyan9801 | 2013-04-17 09:13 | 妄想(人物) | Comments(0)