鼈の独り言(妄想編)

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パーク・ウィルズ探検隊 ~オーストラリア大陸縦断に挑んだ悲運の探検隊~

 19世紀半ば、オーストラリアのメルボルンでは金鉱脈の発見によりゴールドラッシュが起こっていた。メルボルンには多大の資本が投入され、文化的にも発展を遂げていった。そしてメルボルンの人々は「オーストラリア大陸の内陸部はどうなっているのか?」という関心を持つようになる。今回はオーストラリア内陸部を探検し、隊長以下多くの犠牲者を出した「パーク・ウィルズ探検隊」を考察してみたい。

 オーストラリア大陸の内陸部は長らく未調査のままであった。世界一乾燥した大陸と言われるオーストラリア内陸を探索するためには、物資の輸送を行える使役動物(馬など)が乾燥のため生きていけず、このため本格的な調査が行えずにいた。しかしメルボルンのゴールドラッシュは内陸部調査のために必要な資金を供給できるまでになっていた。メルボルンで設立された王立ヴィクトリア学会は公的な探検隊を組織すべく、砂漠でも活動可能なヒトコブラクダをインドから調達するなどし、1860年遂に探検隊を組織する。
 この探検隊の隊長に任命されたのがロバート・オハラ・バーグであった。彼は元オーストリア士官で、その後警察官になった人物だが、探検の経験は無かった。副隊長にはラクダの買い付けにインドまで出向いたジョージ・J・ランドルフ、そして補佐にウィリアム・ジョン・ウィルズを任命する。ウィルズは測量技師で気象学者でもあり、多少の野外活動の経験はあった。副隊長のランドルフは途中で隊を離脱しウィルズが副隊長を引き継ぐので後年この探検隊は「バーク・ウィルズ探検隊」と呼ばれることになる。探検隊は総勢19人、6台の荷馬車、27頭のラクダを引き連れていた。このような大きな探検隊が組織されたのはオーストラリア植民政府がオーストラリア縦断に成功した者に2,000ポンドの報奨金を出すと示したことや、オーストラリアの内陸には内海、もしくは湖が存在するという仮説があり、それが本当なら更なる入植が可能になることなどがあった。もちろん「金」がさらに採掘できるなら申し分ないというところだったろうが…。こうして探検隊は1860年8月20日、メルボルン市民の歓声の元出発する。ところがメルボルンの街を隊列が出きらないうちに荷馬車の一つが壊れてしまう。不吉な旅の前兆だったかもしれない。

 その後も荷馬車の故障は続く。出発の前に隊員から、途中地点まで荷物を船に乗せ、川を遡上させて中継地点で受けとるべきという意見を隊長のバークが握りつぶし、すべての荷物を持って出発したツケであった。探検隊は予定よりも遅れつつ、北へ向かう。このときバークの心中は他の探検隊に先を越されるのではないかという気持ちに満ちていた。2,000ポンドの報奨金で、複数の私立探検隊が出発の準備を整えつつあるという情報をバークは入手していたのである。10月初旬、中継地のビルバーカでバークと副隊長ランドルズが積み荷のラム酒で口論となる。探検隊はラクダの体調管理の為大量のラム酒を輸送していたのだが、バークはそれを捨てて移動を早めようとし、ランドルフが抗議したのである。結局ラム酒は捨てられることになり、ランドルフは隊を離れてメルボルンに戻ってしまう。このため補佐役だったウィルズが副隊長に昇格し、メンバーの中からウィリアム・ライトが新たに補佐役に抜擢される。

 ラム酒を捨てた後も旅路は思ったほど進まず、しびれを切らしたバークは隊を二つに分け、とりあえず8人を先行させ、白人がたどり着いたもっとも奥地、クーパーズ・クリークにベースキャンプを設置し、そこから北部へ遠征を行い、併せて残してきた部隊がクーパーズ・クリークへ物資を輸送し、北部の探検を終えた部隊を収容して帰途につく計画を立てる。残留部隊は輸送と共に他の探検隊の監視と捕縛をするよう命令する。この命令からバークの探検の目的は報奨金をせしめることにウェイトがおかれていたことが推察できる。ともかくもバークは先行隊8名と残留部隊を率いるライトを引き連れ11月11日クーパーズ・クリークに到着する。到着前にライトは隊から別れ、残留部隊へ引き返し物資の輸送を指揮することになる。

 クーパーズクリークに到着した一行はベースキャンプを設営する。すでに季節は夏に向かっていた(南半球なので11月は春の終わりである)乾期である夏場に砂漠を探検するのは危険であったが、他の探検隊に先を越されることを恐れたバークは探検を強行することにする。ベースキャンプにウィリアム・ブラーエ以下4名を残し、バーク、ウィルズ、ジョン・キング、チャールズ・グレイの4名は12月16日北へ出発する。普通ならベースキャンプには副隊長であるウィルズが残るべきであるが、冒険に不慣れなバークが手元に置いたのか、はたまた別の事情があったかは定かではない。バークは3ヶ月の食料を携帯し、残留するブラーエに三ヶ月ここで待つよう指示を出している。

 バーク一行は翌1861年2月9日オーストラリア北岸の海岸線付近まで到達するが、マングローブに覆われた湿地帯を踏破することができず、ここで引き返すことを決断する。しかしこの時点でベースキャンプを出発して2ヶ月近く、すでに食料はベースキャンプまで持たない状態であった。報奨金にかられ無理な旅程が招いた結果である。一行は食事の量を減らしつつベースキャンプへの帰路を歩き続けたが空腹は隊のモラル低下を招き、空腹に耐えかねてグレイが食料をくすね一人で食事をしていたところをバークに発見され殴られる事件が発生する。グレイは赤痢を患い、体力も低下していてこの事件の後ほどなく死亡している。一行はグレイの埋葬と自らの体力回復のため一日休息をとっているが、この休息が思わぬ事態を招くことになる。一行が4月21日夕刻にようやくの思いでベースキャンプにたどり着いたとき、そこはもぬけの殻だったのである。

 ベースキャンプを守っていたブラーエは約束の3ヶ月を過ぎても留まっていた。後から物資を持ってくるはずの別働隊はいくら待っても姿を見せず、ベースキャンプでも次第に食料が欠乏して隊員たちにも疲労の色が濃くなっていった。四月下旬ブラーエは遂に後退を決断し、多少の食料をベースキャンプに生えていたユーカリの木の根本に埋めたのちに全員が後退したのである。残留部隊がベースキャンプを去ったのが4月21日朝、この九時間後にバークたちがベースキャンプに戻ってきたのであった。

 先にブラーエたちの動きを書いてしまうが、ブラーエたちが後退の途中、ライト率いる別働隊と出会う。ライトの別働隊は輸送能力の不足(使役動物の不足と荷馬車の故障など)と資金の枯渇により輸送手段がとれない状態が続き、さらにアボリジニとの対立や輸送隊の食料が不足し三人が栄養失調で亡くなるなどしたために到着が遅れたのである。後に冒険隊の遭難の検証を行った学会は遭難の原因の多くをライトの行動と統率が起因したとしている。ともあれ別働隊と合流できたブラーエは隊をそこに留め、ライトと二人でベースキャンプに戻ることにする。5月8日にベースキャンプに二人は到着したが、ベースキャンプに人影は無く、バーク以下4名は戻ってこれなかったと確信した二人は隊に戻り、メルボルンに帰ることを決断する(帰還途中で隊員一名が病死している)。この時二人はわずかの時間しかベースキャンプに留まらずに帰路についたが、実はバーク等が到着して、手紙を残していたのを見落としていたのである。

 話をバーク隊のほうに戻す。空っぽになったベースキャンプに到着したバーク達3名はブラーエが残した食料を回収し、とりあえず一番近い人の住む町マウント・ホープレスを目指すことにする。そこまでの道のりは240キロだったが、砂漠を横断する厳しい道のりであった。バークは食料を埋めてあったユーカリの木の根本に手紙を残し、再び出発する。
 しかし、ホープレスに向かった直後、残っていた最後のラクダが死亡し備品の輸送ができない状況になり、バーク一行は5月30日ベースキャンプに再び戻ってくる。バークが埋めた手紙はそのままでありブラーエ達が戻って来ていたことに三人は気づかなかったのである。
 すでに体力を消耗しきった三人は、ベースキャンプに留まり救援を待つことにした。幸いベースキャンプ周囲のアボリジニ達は親切で時折食料を持ってきてくれたが、弱りきった三人が体力を回復することはできなかった。6月下旬、バークは救援隊が来るかどうか見にゆくと言い出したが、副隊長のウィルズは衰弱しきって旅にでるのを拒否しベースキャンプに留まった。ベースキャンプを出て程なくしてバークは倒れ、再び起きあがることができずにそのまま息を引き取った。バークに随行したキングはバークを埋葬するとベースキャンプに戻ったが、そこにはすでに息絶えたウィルズの亡骸が横たわっていた。ウィルズを埋葬したキングはアボリジニに保護され、9月に捜索隊に発見され救出されることになる。オーストラリア北岸にたどり着いた(もっともキングは海岸付近まではたどり着いていないが)ただ一人の生き残りのキングはメルボルンに帰還することができたが、健康を回復することはできず、9年後に病死している。

 この冒険の遭難の原因はかなりの部分隊長のバークに起因するように思われる。確かにライトの仕事もお粗末ではあったが、元々一隊員にすぎなかったライトを輸送部門の責任者にしなければならなかった状況はバークが作り出している。また無謀な北岸への探検強行、特に食料が半分を切っていてもまだ前進を続けた判断は理解しがたいものであり、そのツケはバーク自身の死で償わされたと言える。 ただ、この冒険の結果オーストラリア内部に内海や湖が無いことが分かり、オーストラリア大陸の実状が明らかになったことは事実で、探検隊派遣は決して無駄ではなかったことが亡くなった6名に対するせめてもの鎮魂であろうか。
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by narutyan9801 | 2013-04-11 15:01 | 妄想(冒険家) | Comments(0)