鼈の独り言(妄想編)

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日食が変えた戦いの行方 ~ハリュス川の戦いと水島の戦い~

 古来、人間の営みは太陽を基準にしてきた。そのためほとんどの文明は太陽を神として崇めてきた。太陽が月の陰に隠れてしまう天体現象「日食」は古代の人々にとって重大な出来事であった。日本でも古事記の「天の岩戸」伝説もおそらく日食現象を表したものだろう。この「日食」がよりによって戦場で起きてしまったとしたら…。今回はそんな事象を二つ考察してみたい。

 紀元前6世紀頃、現在のイラン・イラク地域ではメディア王国が栄えており、西方のリュディア王国としばしば争いを起こしていた。メディア王キャクサレスはリュディア併合を求めリュディアに進撃し、リュディア王アリュアッテスが迎え撃つ形で両軍は紀元前585年5月28日(グレコリオ歴)国境のハリュス川で激突する。その戦いの最中に驚愕すべき事が起こる、太陽が徐々に陰に包まれてゆきやがて完全に包まれてしまい、戦場は薄闇に暮れてしまった。自然に戦闘は止み、奇妙な静寂があたりを包んだという。
 この時ちょうどハリュス川地域は皆既日食が起こっていた。両軍はこの事象を神の啓示ととらえ、ハリュス川を国境に定め、双方の王が存命のうちは争うことがなかったという。ちなみにこの日食、ギリシャの歴史家ヘロドトスによると事前にタレースが予言した日食であったということである。

 ハリュス川の戦いから約1800年後、遙か東方の島国日本では源平合戦の重要な戦いが行われていた。俗に水島の戦いと言われる戦である。
 都に乗り込んだ源義仲は平家追討のため兵力を瀬戸内に進めたが、瀬戸内は平氏の勢力が強く、兵糧の調達に支障をきたし士気は落ちていた。それでも四国、屋島の平家を討つべく水島で渡海の準備をしている陣に、グレコリオ歴1183年11月24日、平氏が攻撃を掛けたのがこの戦いである。
 ハリュス川の戦いから長い時間が過ぎ、天文観測の結果から日食はある程度の予測ができるまでになっていた。そしてこの日食予想が戦術的に取り入れられたである。
 平氏は都落ちの際朝廷の陰陽師たちを伴っていた。元々陰陽師は天文観測が主な仕事で、日食の予想は重要な仕事であった。天皇は天照大神の子孫であり天皇が重要な祭事を行っている最中に日食が起こってはまずいので日食が起こりそうな日時をあらかじめ予測しておき、祭事を行う日取りを決めるのは重要なことであった。このため平氏側は合戦に先立ち将兵に日食が起きるかもしれないことを伝えておいたと記録されている。一方の源氏側はこのことを知らずに攻撃を受けたと思われる。
 合戦はまず水上で両軍の水軍が激突したが、水軍に長けた平氏が源氏を圧倒したらしい。そして陸上へ敵前上陸を敢行するまさにその時に日食が始まったようである。陰陽師たちの予測ではこの日食は太陽の半分ぐらいが欠ける部分日食だったらしいが、実際は95%が隠れる金環食であった。合戦の地水島は金環食になる東のへりに位置していた。
 平氏はこの戦いで完全武装した馬を船に乗せ、騎馬武者がそのまま陸地に上陸できるよう準備を整えていたのに対し、源氏は兵糧不足が深刻で合戦もままならなかったようである。日食がどれだけ合戦に影響したかは定かではないが、源氏は合戦を指揮した足利義清、海野幸広の両大将以下指揮官のほとんどが討ち取られる惨敗を喫してしまう。
この敗戦を期に源義仲は勢力を失い、翌年源頼朝が派遣した義経らに討たれ、源氏の主役が入れ替わる。一方の平氏は一時勢力を回復し、旧都福原を奪還し、一の谷の決戦へつながってゆくのである。

 現在はコンピューターの発達により、日食の発生は数百年単位でその日時が予想されており、人々を畏怖させることはないといえる。そのかわり日食は人間が直接感じることのできる天文ショーとしてこの先も人々を楽しませつづけることだろう。
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by narutyan9801 | 2013-04-01 10:17 | 妄想(天文) | Comments(0)