鼈の独り言(妄想編)

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「エレファントマン」 ジョセフ・ケアリー・メリックの生涯

 先日アカデミー賞が発表された。毎年の話題作がノミネートされる本賞であるが、1982年のアカデミー賞では最優秀作品賞、主演男優賞などにに「エレファントマン」がノミネートされた。この「エレファントマン」は19世紀に実在したジョセフ・ケアリー・メリックを元に撮影されているが、実際とは異なる描写も多い。今日はこのジョセフ・ケアリー・メリックの生涯を簡単に見てゆきたい。

 ジョセフ・ケアリー・メリックは1862年イギリスで生まれている。彼の身体に変調が見られたのは生後21ヶ月を過ぎてからで左腕を除く彼の身体は骨格の変形、皮膚組織の増大、表皮の腫瘍が発生する。特に上唇部の皮膚は20cm以上も垂れ下がり「エレファントマン」と呼ばれる由縁となる。ただ、これは呼吸への負担となるため後に外科手術で切除されている。

 彼の知能や精神には問題は見られず、彼は12歳まで学校に通い、晩年にはボール紙を使った模型制作の趣味を持ち、オペラ鑑賞もしている。しかし異様な外見で彼は疎まれ、実母が亡くなった後継母に半ば追い出される形で家を出る。仕事も出来ず救貧院に入っても先の見えない生活を強いられていたジョセフは21歳の時に見せ物小屋で自らを晒して収入を得るようになる。

 見せ物小屋に入ると聞くとどん底の生活に落ちてしまったという印象になるが、以外にも本人の後の弁では見せ物小屋の興行師からは寛大な扱いを受けたという。もちろん何不自由なくということでは無いだろうが、ともかくも自分だけの力で自立して生活できるようにったということなのだろう。だが安定した生活は長くは続かなかった。

 当時イギリスでは産業革命の結果国民生活にゆとりが出来、風紀的な改革が起こっていた。この風潮は見せ物小屋を「俗なもの」とし、排斥運動が起こりジョセフは収入を失ってしまう。やむなくジョセフはヨーロッパを廻る興業団に入るが、ここでの待遇は悪く、体調を崩したジョセフはロンドンに戻り、そこで以前診察を受けた医師のフレデリック・トルヴェスに保護される。

 ロンドン病院に収容され、体調も回復したジョセフに自立のため寄付を募る投稿があり、世間の耳目を集めたジョセフはイギリス王太子妃アレクサンドラの訪問を受ける。首筋に頸部リンパ節結核の手術跡があり、そのコンプレックスに悩んでいたアレクサンドラはジョセフに惹かれるものを感じたのかもしれない。この訪問によりジョセフは上流階級の人々に知られる存在になり、支援活動によりロンドン病院で個室を与えられ、安定した生活が出来るようになる。しかしジョセフにはその生活を楽しめる時間はあまり残されてはいなかった。

 1890年4月11日の昼過ぎ、ジョセフは自室で仰向けに横たわり息絶えているのを回診に訪れた医師に発見される。実はジョセフの首は仰向けに横たわると脱臼してしまう恐れがあり、ジョセフもそのことを承知していて睡眠はいわゆる「体操座り」をして膝の上に頭を載せて眠るようにしていた。このため仰向けで発見されたジョセフは「自殺したのではないか」という説が流れ、映画「エレファントマン」でもそうしたストーリーになっている。しかし最近の調査では眠ろうとしたジョセフが身体を動かした際に頸骨が脱臼し、頭部の重さで仰向けになったらしいことが解っている。死亡前にジョセフはかなり衰弱しており、頸部の筋力が頭部の重量を支えられなくなったための悲劇であった。

 生前ジョセフは「自分の死後遺体を研究して病気の原因を解明して欲しい」との遺言を残している。ジョセフの病気は以前は象皮病や神経繊維腫症1型の説があったが現在はプロテウス症候群が有力視されている。研究結果は早ければ今年にも発表されるそうで、ジョセフの遺志に答えるためにも病気の正体が究明されることを願ってやまない。
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by narutyan9801 | 2013-03-01 02:23 | 妄想(人物) | Comments(0)