鼈の独り言(妄想編)

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彼は登頂を果たしたのだろうか? ~ジョージ・マロリー~

 世界最高峰、エベレスト、その初登頂は1953年5月29日、ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパテンジン・ノルゲイによって成し遂げられている。しかし、それ以前にエベレスト頂上に「辿り着いたかもしれない」人物が存在する。ジョージ・マロリーである。

 ジョージ・マロリーは1886年生まれ、教師や作家業の傍ら著名な登山家として数々の山に登っていた。彼の残した有名な言葉に、何故エベレストに登るかという問いに「そこに山があるからさ」というものがある。ただ彼を知るものの多くが「彼は言葉を選んで発言するタイプで、彼らしくない言葉だ」と語っている。

 マロリーがエベレストに初めて挑むのは1921年になる。イギリスは地球の両極点到達に敗れ(北極点1909年アメリカ人ピアリー到達、南極点1911年ノルウェー人アムンゼン到達)エベレスト登頂を「第三の極地制覇」と位置付け初登頂に国家の威信を賭けていた。一回目の遠征ははエベレスト周辺の地形の測量や登頂ルートの選定に当てられ、本格的なエベレスト登頂は行われなかったが、マロリーはエベレストそのものに初めて足を踏み入れた西洋人となる。

 1922年に第二次遠征が行われ、エベレスト山頂へのアタックが敢行される。第一次アタックに参加したマロリーは無酸素登頂で8,225mまで到達するが、日没が近づいたため登頂は断念される。第二次アタックにマロリーは参加しなかったが、酸素ボンベを携行したアタック隊は前回マロリーが記録した高さを超え8,321mまで到達する。残念ながら酸素ボンベの不調で第二次アタック隊は登頂を断念、第二次アタック隊の帰還後雪崩の影響で遠征隊は登頂を断念、撤退することを余儀なくされるがエベレスト山頂へはもう一歩という段階まで近づいたと思われた。

 第三次遠征は2年後の1924年に実施された。一回目のアタックは失敗し、1924年6月6日マロリーは弱冠22歳のアンドリュー・アーヴィンと共に頂上アタックを敢行する。途中に設けた二つのキャンプ地を経由し、頂上到着は6月8日を予定していた。頂上到着予定日のその日、二人をサポートする登山家で地質学者のノエル・オデールは最終キャンプで二人を出迎えるべく単身8,230mの最終キャンプを目指していた。途中地質学者らしく化石を発見し大喜びしつつ、雲に覆われた山頂を臨むと、一瞬雲が切れ、二人の姿が確認できたとのちに述べている。これが二人の最後の消息になった。ノエルは最終キャンプに到着し二人を待ちつつ、天候の悪化で二人が最終キャンプを見失う恐れを感じたノエルは口笛を吹いたりしたが二人からの反応は帰ってこなかった。最終キャンプには三人を収容出来る余裕がなかったため、ノエルは後ろ髪を引かれる思いで下のキャンプに下がる。翌朝再び最終キャンプを訪れるが、そこに2人の姿はなかった。ノエルは二人の安否を確かめるべく標高8,500m付近まで探したが(しかも無酸素で)結局二人は見つからず、登頂できたかも不明であった。エベレスト初登頂は第二次大戦での中断もあり、二人の行方不明からおよそ30年後に成し遂げられることになる。

 二人の捜索はその後の頂上アタックと平行して続けられ、1933年には標高8,340m付近で二人のいずれかのピッケル(後にアーヴィンのものと断定)が発見され、少なくともこの地点までは到達していたことが判明した。そして二人が消息を絶ってから約50年後、中国人登山家王洪宝がエベレストの標高8,100m付近で西洋人の遺体を見たと日本の登山隊に語っている。王自身も証言直後に雪崩で死亡してしまい、詳しい場所は分からなかったが後に別の中国人登山家から遺体はエベレスト北壁にあるとの情報が入り、1999年に北壁で調査が行われる。そして5月1日に古い遺体を発見。マフラーに書かれているイニシャルからマロリーの遺体と確認されたのである。実に行方不明から75年ぶりの発見であった。

 マロリーの遺体や衣服は極度の低温と乾燥により驚くほどよく保たれていた。彼の腰にはザイルが巻いてあり、ザイルの付近の彼の皮膚は擦り切れ、出血の跡があった。また彼の額や足には損傷が見られたという。このことから彼は滑落し、その際のの額の損傷で死亡した可能性が高いと思われている。

 彼の遺体の状況から、幾つかのことが推測される。マロリーは雪の照り返しを避けるために登山中はサングラスを付けていたが、彼の遺体からサングラスはポケットに入った状態で発見されている。このことは彼が日差しが弱まった夕方以降に行動していたことを示唆している。また、彼は娘にエベレスト登頂が成功したら妻の写真を山頂に置いてくると語っていたが、その写真は遺体からは発見できなかった。そして現在に至っても山頂から写真は発見されていない。

 二人が登頂できていたかの可否は現在の状況では断定できないのだが、登頂を証明できるかもしれない所持品が未発見のままである。二人は登頂に際してコダックのカメラを所持していたことがわかっており、このカメラにもしかしたら何か残されているかもしれない。また、行方不明のままのアーヴィンの消息を探るべく衛星写真を解析してアーヴィンの所在を探す試みもなされているらしい。

 マロリーの息子、ジョン・マロリーは「父さんは帰ってこなかった。これはやり遂げたと言えないのです」と語っている。この言葉と同じ趣旨の言葉をヒラリー卿、そして植村直己も語っている。マロリーは冒険の一歩先まで足を踏み入れてしまったのかもしれない。

 世界最高峰、エベレスト。2012年現在で216人が登頂中に死亡行方不明となり、150人以上の遺体が回収できていない。エベレストは世界最高峰であると共に、世界最大の墓標でもあるのである。

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発見時のジョージ・マロリーの遺体。遺体はこの後埋葬されている。

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by narutyan9801 | 2013-02-21 05:03 | 妄想(人物) | Comments(0)