鼈の独り言(妄想編)

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軽空母龍鳳 ~時機を逸した大鯨からの改装~

 1922年に締結したワシントン海軍軍縮条約により列強各国海軍は保有する主力艦艇に制限を設け、さらに1930年のロンドン海軍軍縮条約の締結によりそれまで保有に制限のなかった排水量一万トン以下の空母にも制限が設けられることになった。この事態に日本海軍は平時は別の艦種として保有し有事に短期間で軽空母に改装することができる艦艇の整備をすすめることになる。今回は改装軽空母でも数奇な運命を辿った軽空母「龍鳳」を考察したい。

 ロンドン海軍軍縮条約では「一万トン以下の補助艦艇」には制限を設けていなかった。日本海軍はこの補助艦艇のうち、空母に性質が似ている「潜水母艦」と「給油艦」に目をつける。双方とも他艦艇へ補給を行うためのタンクを所有することを前提として建造でき、補給資材のため広い収納スペースを設けることも可能である。この施設は有事に空母に改装する場合そのまま飛行機用燃料タンクや格納庫として利用することが可能であった。このため日本海軍はロンドン海軍軍縮条約に対応した艦艇の建艦計画「①計画」に潜水母艦一隻の建造を計画する。この艦は一度は閣議で建造が見送られるが、緊急性が高い艦艇として昭和八年度の建造計画に追加承認され、建造が決定する。この艦がのちの潜水母艦「大鯨」である。

 実のところこの時期の日本海軍では潜水母艦の整備も急務であった。日本海軍は大正12年に竣工した迅鯨、長鯨の二隻の潜水母艦を所有していたが潜水艦の急速な発達に潜水母艦の能力が追随できず、新規の潜水母艦の速やかな整備も望まれていたのである。このため「大鯨」は一刻も早い竣工、活躍が期待されていた。それを実現するために「大鯨」は新機軸の建造や装備が計画されていたのである。

 従来軍艦の建造では船体の接合には「リベット」が用いられていた。それに対し「大鯨」では船体の接合に全面的に電気溶接が採用されたのである。この試みは世界初と言われている。電気溶接の恩恵により大鯨は起工からわずか7か月で進水までこぎつけている。もっともこの短期間の進水は年度末までに終わらせなければいけなかったことや、進水式の日程が昭和天皇に伝えられていたため半ば強引に挙行されたというのが本当のところらしい。

 大鯨の機関は大型艦としては初のディーゼル機関が採用され、昭和9年3月31日に竣工している。起工からわずか11ヶ月強での竣工であったが、大鯨はそのまま予備艦となり追加工事や整備が行われる。問題となったのはディーゼル機関で異常煤煙や出力不足が問題となった。結局出力は計画の半分ほどしか出せない状態となってしまう。

 どうにか運用可能となった大鯨は翌昭和10年に臨時編成された第四艦隊に編入され三陸沖で行われる演習に参加することになるが演習地点に向かう途中に台風に遭遇、いわゆる第四艦隊事件に巻き込まれることになる。大鯨は防水扉が破壊され浸水、電気系統が故障したため人力での操舵を余儀なくされる。さらに横須賀入港後の調査で船体の電気接合部分に亀裂が生じていることが判明し、船体の強度不足が露呈することになる。この修理と強度不足の補強の末、ようやく潜水母艦の実務に付けたのはそれから三年後の昭和13年9月になってからであった。

 艦隊編入後の大鯨は日華事変に隷下の潜水艦と共に参加する。根拠地から遠く離れた潜水艦の長期の活動には潜水母艦の活躍が不可欠であり新型の潜水母艦は潜水艦部隊からは歓迎された。そして昭和16年に大鯨は日本から遠く離れたクェゼリン環礁に進出する。真珠湾攻撃を計画していた日本海軍はハワイに潜水艦を派遣し米海軍艦艇の監視、攻撃を模索しており、その根拠地にクェゼリン環礁が選ばれたためである。11月に隷下の潜水艦を送り出した大鯨はクェゼリン環礁を出港、空母への改装のため日本に向かうことになる。

 大鯨は1941年12月20日より横須賀海軍工廠で空母への改装に着手する。計画では3か月で空母への改装が完了するはずであったが、大鯨はディーゼル機関の不調から機関を陽炎型駆逐艦に用いられたタービン機関へ換装することになり工期は大幅な延長を強いられていた。さらに新たな不幸が大鯨を見舞うことになる。

 1942年4月18日、米空母ホーネットを発艦したアメリカ陸軍爆撃機B25が日本各地を爆撃する、いわゆる「ドゥーリトル空襲」が決行される。この爆撃に13番機として参加したマックエロイ中尉機が午後一時頃横須賀上空で爆弾を投下、その爆弾が改装中だった大鯨に命中するのである。参加したB25は装備していた高性能のノルデン照準器を防諜(不時着して日本軍に回収されるのを防ぐため)と重量軽減のために取り外し簡易な照準器に変えており、爆弾が命中してしまったのは不運としか言いようがない。この爆撃で大鯨は火災が発生し大きな破孔が生じてしまう。爆撃後大鯨は改装と損傷復旧を突貫で行うが、結局空母への改装が完了したのは南太平洋海戦終了後の1942年11月であった。


 ドゥーリトル空襲の損傷が大鯨の改装にどれほど影響したかは今となってははっきりとしない。爆撃の修理には4ヵ月を要したという資料もあるが、おそらく空母への改装と並行して行われたと思われ、正味4ヵ月の遅延ではなかったろう。ただミッドウェー海戦の敗北後空母の整備には全力を投じたはずであり、約一年を要した瑞鳳、祥鳳よりは時間を短縮できた可能性が高い。

 仮に爆撃の被害が無く工事の短縮ができたとして南太平洋海戦には間に合ったろうか?となると錬成の時間を考えれば難しいと言わざるを得ないが、もし間に合えば海戦の結果はかなり違っていたかもしれない。


 空母への改装が完了した大鯨は「龍鳳」と改名され任務に就くことになる。空母としては先に改装されていた祥鳳型空母の祥鳳、瑞鳳と同型艦と分類されることが多いが、細かい点は相違点も多い。龍鳳は船体が若干祥鳳型よりも大きく、その影響で速力が祥鳳型よりも約1.5ノット低い。このわずかな速力の差がのちに龍鳳の運命を左右することになる。さらに龍鳳の特徴として飛行甲板が強度甲板になっていることがあげられる。

 強度甲板というのは甲板の強度が高められ防御が優れているということではない。かなり端折った説明になるが船という構造物は大きな鋼鉄のお椀に鋼鉄の蓋をしているような構造である。船体は波浪、風などの外力を受け、それにたいして歪みを生じさせないため、蓋の部分に応力に対応した強度を持たせる必要がある。これが強度甲板である。日本海軍の空母は通常格納庫甲板を強度甲板として建造されるが、大鯨は艦橋と一体化した格納庫を建造しその上部を強度甲板とした。龍鳳はその格納庫をそのまま航空機格納庫としたため、格納庫上層の飛行甲板が強度甲板となっているのである。このためたの空母の飛行甲板に見られる応力に対応した継手(ジョイント)がないのが外見上の大きな特徴である。

 空母となった龍鳳に初めて与えられた任務は飛行機輸送任務であった。陸軍の九九式双発軽爆撃機をトラック島まで輸送する任務に就いた龍鳳だが1942年12月12日に八丈島近海で米潜水艦ドラムの雷撃を受け損傷してしまう。急遽横須賀へ引き返した龍鳳はそのまま翌年2月まで修理を行う。その後は瀬戸内海で発着艦訓練を行い一度トラック島に進出するもののその後は輸送任務に就くことになる。

 1944年5月に龍鳳はタウイタウイに進出して空母隼鷹、飛鷹ともに第二航空戦隊を編成する。この時同型艦とされる空母瑞鳳は第三航空戦隊に編入されている。二隻しかない同型艦が違う所属になるのは珍しいことだが、これには両艦の速力の差が影響していると思われる。瑞鳳と共に第三航空戦隊に編入された千歳、千代田は速力29ノットを発揮でき、速度性能がより近い瑞鳳が第三航空戦隊に編入されたのであろう。同じ意味で龍鳳は速度特性が近い飛鷹型と組み合わせたといえる。この編成で龍鳳はマリアナ沖海戦に臨むことになる。1944年6月19日のマリアナ沖海戦で龍鳳は攻撃隊を発艦させるが迎撃態勢を整えていたアメリカ海軍機動部隊に攻撃隊は撃退され多くの搭載機を失ってしまう。さらに翌日米機動部隊は米機動部隊からの攻撃を受け龍鳳は爆弾一発が命中、損傷を受けてしまう。結果的に龍鳳の空母らしい活動は惨敗に終わったマリアナ沖海戦のみであった。

 マリアナ沖海戦後損傷を修復した龍鳳は輸送任務に就くが、10月に行われたレイテ沖海戦では内地待機となる。レイテの前に行われた台湾沖航空戦で空母搭載機まで投入、消耗してしまった日本海軍機動部隊には受け皿となる空母は有っても搭載すべき艦載機は払底してしまっていたのである。わずかに残った艦載機を搭載して囮として出撃していった空母は瑞鶴、千歳、千代田、そして龍鳳の姉妹艦瑞鳳であった。この四隻の定数をも満たせないほど艦載機は不足していたので龍鳳の残留はどうしようもなかったのであるが、龍鳳ではなく瑞鳳が選ばれた理由となるとやはり「速力」の問題であったろう。

 レイテ沖海戦後も龍鳳は輸送任務を遂行しており、1944年年末には特攻兵器「桜花」の輸送のため内海を出撃している。龍鳳は多数の護衛艦を交えた「ヒ87船団」の一員となり台湾まで同行するが、台湾で米機動部隊の来襲を受けそれ以上の航行を断念、ヒ87船団も大損害を受け残存した艦艇は龍鳳を護衛して1945年1月18日に呉に帰投する。この航海が日本空母の戦闘任務での最後の外洋航海となる。

 1945年3月19日に呉は米機動部隊の空襲を受け爆弾三発、ロケット弾二発の命中を受け大破炎上する。幸い搭載機が無かったため火災は鎮火したものの第一ボイラーが破壊され、修理もできないと判断された龍鳳は空母としての使用を諦め、甲板にあいた大穴を塞ぐだけの応急処置だけ施されその後は防空艦として戦艦榛名の前方に係留されていたが、それ以上の損傷を受けることはなく終戦を迎えることになる。機関に損傷があったため復員輸送に用いられずに昭和21年9月25日に解体が完了している。

 龍鳳の生涯はどうしても「不運」が付きまとっている印象がある。大鯨時代の船体強度不足・機関の不調・改装中の爆撃被害等々。もしこれらの要素がなければ太平洋戦争前半には軽空母として竣工できていた可能性が高い。だが龍鳳が不運に付きまとわれた最大の要因は海軍軍縮条約の抜け道をあら捜しして無理な設計を行った日本海軍の体質そのものであったような気がしてならない。国防のための戦力増強は必要なことであるが、戦力増強以外の国防にも目を向けなければいけなかったのではなかろうか?

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 昭和21年4月30日、解体中の龍鳳。前部飛行甲板が取り払われ空母改装後の艦橋構造がよく解る珍しい写真。後部飛行甲板にあいている大きな破孔は昭和20年3月19日の呉空襲時の損傷。この破孔から炎が百メートル以上吹き上がったと言われている。復旧はただ破孔を塞ぐだけで、飛行機の離着艦能力は完全に失われていた。



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by narutyan9801 | 2014-06-06 20:53 | 妄想(軍事) | Comments(1)