鼈の独り言(妄想編)

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日付変更線 ~人間の都合でねじ曲げられる昨日・今日・明日~

 人類が「時間」の基準として利用してきたものは「地球の自転周期」である。すなわち地球が一回転時点する時間を「一日」という単位で捉え、「一日」を細分化することにより「時分秒」という時間単位を得たのである。人類の活動範囲が大きくない時代は日付の基準を設ける必要は無かったが、人類の活動が地球規模にまで拡大すると移動により起こる日付の矛盾を防ぐための基準が必要とされるようになる。今回はこの日付の基準「国際日付変更線」を考察したい。

 地球は球形をしている。地球上を移動し一周して元の位置に戻ったとすると移動者は物理的運動で暦の進みを自転方向に順方向なら+1、逆方向ならー1していることになる。しかし移動者には暦のずれは自覚できないため移動者には暦の方がずれたと自覚してしまうことになる。この問題は人類が初めて世界一周を成し遂げたマゼランの航海ですでに起こっていた。マゼラン艦隊では暦を正確に記録していたがスペインに帰還した際に照会したところ彼らの暦は一日遅れていたことが判明したのである。彼らは自らの暦の方が正確であると主張し、ついにはローマ教皇に使者を出し審議を依頼するという騒動にまで発展したのである。彼らは自らの航海で彼らが本来受けたであろう地球の自転を一回減らしたことに気づかなかったのである。

 原因が分かってしまえば笑い話ですむ問題であったが、いざ海外に領土を持ち頻繁に行き来する大航海時代を迎えるとこの日付の問題は無視できない事態となる。そこで陸地のない太平洋上で線引きを行い、西から東に越えた場合には日付を一日戻し、逆に東から西に越えたときは日付を一日進めることにしたのである。日付変更線の始まりであるが、現在のように国家間の調整により線引きをしたわけは無く悪く言ってしまえば利用する国の都合で現在から見ればかなり強引な線引きが行われていたこともある。

 たとえばスペイン統治時代のフィリピンは日付変更線の東側とされていた。スペインはフィリピン統治の権限の多くをメキシコのアカプルコにおいた総督が握っており統治上メキシコとフィリピンの日付が同じ方が都合が良かったのである。この場合日付変更線はベーリング海峡から千島列島、日本列島の側を通り、パシー海峡から南シナ海にはいり、ミンダナオ島の南からニューギニア、ソロモン諸島の北を通って南極に向かうような線引きになる。江戸時代初期にローマに赴いた支倉常長は日本を出航してすぐ日付変更線を跨ぎ、帰りは日本よりも西にあるフィリピンに居るにも関わらず、日本より一日遅い日付で時を過ごしていたことになる。この場合日本とフィリピンの時差はー25時間に達していた。もっとも当時の日本は太陽太陰暦、フィリピンはグレコリオ歴だったので日付変更線による暦のずれは暦そのもののずれを修正する時点で解決してしまい、問題にならなかったようである。

 同じような問題がロシア統治時代のアラスカでも起こっている。アラスカの日付は当時のロシア帝国の日付に併せて英領アメリカ(現在のカナダ)との国境沿いに設定されていた。またこの当時ロシアはユリウス歴を使っていたので隣接する英領アメリカとは日付、そして時間も若干ずれが生じていたのである。1867年アメリカはアラスカを買収するが、アメリカに権限が移譲される際アラスカではユリウス歴1867年10月6日の翌日がグレコリオ歴1867年10月18日とする少々強引な暦の変更が行われている。この変更は午前0時に行われたので、日付変更線がベーリング海峡に移されたことによる日付の一日戻すことと、10月6日が終わったことが打ち消しあい暦のずれのみの修正だけが行われたのである。

 近年でもこうした日付変更線の見直しによる暦の移動は行われている。1979年にイギリスから独立したキリバスは国土が日付変更線で分割されており国土間で曜日が違うという問題を抱えていた。これを解決するために1995年1月1日に日付変更線を国土の東側まで移動させ、国内の曜日を統一されることになった。この措置によりキリバス最東端のカロリン島が日付変更線の東側に最も近い地点となった。ちなみ日付変更線の西側に最も近い地点は太平洋戦争中に日本が占領したこともあるアリューシャン列島のアッツ島である。

 日付変更線の大きな問題は最初に書いたとおり移動している人物には自覚できないことである。たとえばジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」では主人公たちは賭をした80日では戻れず81日かかってしまったが、日付変更線を跨いでいて日付が戻されて80日間の世界一周が完遂されたりという落ちで結ばれている。赤松健のマンガ「ラブひな」では架空の島パララケルス島を日付変更線が通っており、島の西側では消印有効の期限の翌日になっていても島の東側では期日内だったというトリックが描かれている。実際問題日付変更線の西側から深夜離陸した飛行機が日付変更線を越え翌朝着陸した地点では出発から二日後だったという路線もあり、おそらく地球の自転が何らかの変化を見せない限り永遠に旅行者を惑わすことになるであろう。

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日付変更線の東側に最も近い陸地、カロリン島。地球上で最も早く一日が始まる島ということで観光客が訪れる美しい珊瑚礁であるが基本的に無人島である。キリバスは観光PRのため島の名前を「ミレニアム島」と変更している。
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by narutyan9801 | 2013-10-25 14:25 | 妄想(その他) | Comments(0)

初代剣埼 ~浦風型駆逐艦に搭載されなかったディーゼル機関のその後~

 以前このブログでは「浦風型駆逐艦」を取り上げた。浦風型駆逐艦はディーゼル機関を搭載予定していたが、第一次大戦の勃発によりドイツから部品の調達が出来ずディーゼル機関搭載を断念した経緯を書いたのだが、実はこのディーゼル機関には後日談があり別の艦の運命にも深く関わっている。今回はそのディーゼル機関と関わった艦「初代剣崎」を考察したい。

 第一次大戦の勃発により浦風型がディーゼル機関搭載を取りやめた後もドイツ側では発注に基づいた製品の製作を行っており、完成したディーゼル機関を律儀にも中立国を通じて日本に送ってきていたのである。すでに浦風はタービン機関を搭載して完成しており機関の日本到着時には搭載は不可能な状態だった。日本海軍は考慮の末このディーゼル機関を搭載する別の艦艇の建造を行うことになったのである。

 当時日本海軍の保有するタンカーは「志自岐」一隻だけだった。海外からの輸入は民間のタンカーを徴用して賄うことができるが、軍港間の輸送を行う比較的小型のタンカーを保有しておらず、海軍は浦風型の余剰ディーゼル機関を再利用する形で大正六年に小型タンカーを一隻建造する。これが初代剣崎である。
 初代剣崎は排水量1970トン、速力11ノットの小型タンカーであったが、こうした小型タンカーを持っていなかった海軍に便利がられ、瀬戸内海の各根拠地の重油輸送に用いられることになった。また目立たないが日本海軍初のディーゼル機関搭載艦艇であった。

 しかし日本海軍はディーゼル機関の扱いが不得手であり、またディーゼル機関そのものが開発から年月が経っておらず機械的信頼性に乏しいこともあり昭和に入ると呉軍港内に係留したまま放置されるようになる。そして昭和八年9月1日に剣埼は除籍となってしまい、海軍初のディーゼル機関搭載艦は海軍籍を離れるのである。まもなく「剣崎」の名称は別の新造艦艇に引き継がれる。この艦艇はその後数回の遍歴を重ね、軽空母「祥鳳」として太平洋戦争で戦没することになる。

 一方、除籍された初代「剣崎」も船としての生涯を終えた訳ではなかった。船体自体はまだ十分使用できる状態であった初代剣崎は農林省に移管され機関の換装という大改造を施した上で漁業取締兼指導船「快鳳丸」として再就役することになる。快鳳丸は主に北方の漁業取り締まりを行っていたが、太平洋戦争勃発後は農林省に籍を置いたまま海軍に徴用され幌筵を根拠地とした第五艦隊付属の哨戒兼気象観測船として用いられる。さらに昭和二十年になると艦艇が不足した海軍は快鳳丸を特設砲艦とし、12年ぶりに日本海軍艦艇に復帰することになる。すでに二代目剣崎・祥鳳は三年前に珊瑚海海戦で戦没していた。そして初代剣崎・快鳳丸も昭和二〇年4月19日に北海道日高沿岸を航行中に米潜水艦の雷撃により沈没する。剣崎として完成してから29年の生涯であった。

 初代剣崎建造の直接の原因となったのはディーゼル機関であるが、その初代剣崎、そして二代目剣崎も悩まされたのがディーゼル機関の不調であった。結局両者とも機関換装という大工事を行っているのは奇妙な偶然と言えるかもしれない。
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by narutyan9801 | 2013-10-23 11:31 | 妄想(軍事) | Comments(0)

イチジク ~実の部分は実は花である果物~

 名将ハンニバルとスキピオが戦った第二次ポエニ戦争後、勝者であるローマ国内ではかって戦ったカルタゴに対して融和してゆくか、敵対し滅ぼすかの方針が定まらずにおり、元老院でカルタゴに対する政策の議論が交わされていた。議論の最後に登場したカルタゴ滅亡論者の首領である大カトーは懐から数個の果物を取り出し「かの地ではこのような芳醇な果物を産する豊かな土地を持っている。ローマから船でわずか三日で行ける所にこのような国が存在するのは危険ではないか?」と説き、この演説がローマのカルタゴ滅亡方針を決定づけたと言われている、今回はローマがカルタゴを滅ぼす動機となった果物、イチジクを考察したい。

 イチジクはクワ科に属する植物で原産国はアラビア地方と考えられ、乾燥地域に適応した植物である。非常に甘い味がする実を付けることから古くから栽培が行われていた。少なくとも六千年前の古代メソポタミアで栽培が行われていたことが分かっているが、近年ヨルダンの新石器時代の遺跡から炭化したイチジクの果実が発見され、放射能測定の結果一万年以上前のものであることが分かり、人類がもっとも古くから栽培を行っていた植物である可能性も出てきている。

 イチジクはなんといってもその甘い果実を付けるのが特徴であるが、通常果物は花が咲き受粉が行われた後種子の周りを覆う果肉が肥大してそこが食用になるのであるが、イチジクの場合は通常花びらが付く花軸が肥大化し花嚢と呼ばれる組織を形成する。イチジクの花はこの花嚢に包まれ、内部で開花することになる。イチジクの果実を割ってみると中に無数のひだ状の部分があるが、ここが花弁、普通の植物でいう花びらの部分でありイチジクの可食部は実は花そのものなのである。花の部分が包まれて外部から見えなくなっており、イチジクが「無花果」と表されるのはこのためである。
 イチジクの野生種は実の内部に咲く花にイチジクコバチという小さな蜂が入り込み、蜜を得る代償として受粉を行い、繁殖を行う。一方多くの栽培品種は受粉を行わなくても果実が成熟する品種であり、挿し木や接ぎ木で増やすことが一般的である。
イチジクは実のほかにも樹液に薬効成分が含まれており、葉を煎じて飲むと寄生虫の駆虫効果があるとされており、漢方薬としての利用もある。

 イチジクの利用の歴史は古いが、日本にイチジクが入ってきたのは比較的新しく江戸時代に入ってからと言われている。しかし挿し木接ぎ木で容易に増やせることと味が好まれたため各地で栽培されている。現在日本はイチジクの生産では世界第14位の位置にある。日本ではイチジクは基本的に生食であるが、多くの国では果実を乾燥させた「乾燥イチジク」として出荷することが一般的である。

 ところで旧約聖書では「禁断の果実」を食べてしまったアダムとイブが羞恥心を持ち腰蓑を身につけたとされるが、その腰蓑はイチジクの葉から作られたとされている。大カトーもカルタゴ滅亡の本心をイチジクを使って婉曲に表現しており人間はなにか隠し事をする際、イチジクを利用してきたような感がある。それだけイチジクと人間の関わりが古いことを示す証拠なのかもしれない。
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by narutyan9801 | 2013-10-21 15:37 | 妄想(生物) | Comments(0)

シガテラ ~捕食魚すべてが毒魚になるかもしれない毒~

 いわゆる「有毒生物」と言われる生物が「毒」を得る方法は大きく分けると二つの方法がある。一つは消化酵素などから自ら毒を作り出す方法である。毒グモや毒蛇と呼ばれる動物がこれに該当する。もう一つが他の生物が作り出す毒を利用する生物である。これには先日書いた「テトロドトキシン」を利用するフグ類やある種のアリから毒を得て利用しているといわれるヤドクガエルなどが該当する。この類の生物は他の生物の毒を食物連鎖の過程での「生物濃縮」によって取り込むことが多い。フグ類やヤドクガエルは毒を「積極的に利用するため」捕食者は警戒することになるが、自然界に存在する毒の中には生物濃縮により「捕食者がいつの間にか毒を蓄積し、食中毒を起こしてしまう」という種のものがある。今回は自然界での生物濃縮毒の一つ、「シガテラ」について考察したい。

 「シガテラ」とは熱帯地方に生息する植物プランクトンが生成する毒素である。特に渦鞭毛藻類の仲間が多く分泌するが、他のプランクトンの毒もあり一般的には複数の植物プランクトンの毒素が混じり合っているものである。「シガテラ」の語原はキューバに移住したスペイン人が現地で「シガ」と呼ばれていた貝を食べて食中毒を起こしたことから名付けられたという説がある。
 シガテラによる食中毒の特徴は食中毒の原因となる食べ物が特定できないところにある。海水中にある植物プランクトンは動物プランクトンに食べられ、その動物プランクトンを小魚が食べ…という属目連鎖の過程で捕食者に蓄積していくため海水中の捕食者であればシガテラの影響を受けている可能性がある。また植物プランクトンの生息密度は濃淡があるため、ある地点では無毒の魚が別の地点では有毒魚になっていることもあり、食中毒の原因を特定するのは非常に困難であった。中世から知られていたシガテラ中毒の原因が植物性プランクトンによるものであると分かったのは1970年代になってからである。

 シガテラ中毒を起こす原因物質は現在20種類以上が知られている。これらの物質が複合的に作用することになるが、主な作用は神経伝達の阻害である。中毒を起こした患者は消化器官の不調やめまい、頭痛などの神経症状、重篤な場合には血圧の異常降下、神経伝達の異常(特に冷たさに対する異常反応)などを起こす。ただ、現在までに日本で起こった中毒事件での死亡例は無いと思われる(熱帯地方では死亡例も報告されている)

 ただ今後、地球温暖化による海水温上昇の影響で日本での発生件数増加の可能性が高まっている。日本での発生は1980年代までは沖縄県での発生例しか知られていなかったが、1990年代には宮崎県、千葉県など黒潮が通る沿岸地域での発生が報告されている。シガテラの怖い点は発生する魚種が特定できない点である。千葉県の発生例では発生源となった魚はイシガキダイであった。イシガキダイは商業的な漁獲は少ないが磯釣りの人気魚でありなかなか旨い魚である。普段食中毒の発生源と考えられない魚が毒に犯されているという事は考えてみると恐ろしいことである。シガテラの簡易的な検査器具はすでに販売されているが、現状の対策としては漁協などで出す注意情報などを参考にするしかないと言える。
 毒を積極的に利用する生物は大抵派手な「警戒色」を持っているものである。まったく毒を感じさせないところに毒がある。シガテラとはそんな不気味な雰囲気を持った異質な毒である。

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 オニカマス。英名のバラクーダの方がよく知られている。ゲームフィッシュとして知られるこの魚は日本で唯一シガテラ中毒の危険性のため食用が禁止されている魚である。
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by narutyan9801 | 2013-10-08 08:51 | 妄想(その他) | Comments(0)

テトロドトキシン ~フグの体内に潜む猛毒~

 幕末の侠客、新門辰五郎が死に臨んで残した辞世は「思いおく 鮪の刺身鰒汁 ふっくりぼぼにどぶろくの味」である。江戸っ子である辰五郎の好物は鰹ではなく鮪だったことにも興味を引かれるが、辰五郎は死に臨んでも「フグ」の味は忘れられなかったらしい。大好物というからにはそれなりの頻度で辰五郎はフグを食していたと思われる。
 日本人がフグを食し始めたのは縄文時代からと言われており、縄文人のゴミ捨て場だった貝塚からフグの骨が出土している。しかしフグの体には毒があり、多くの人々がフグの毒で命を落としてきた。その毒が解明されたのは数千年に及ぶフグ食の歴史から見れば最近、20世紀に入ってからである。今回はフグに含まれる猛毒「テトロドトキシン」を考察したい。

 テトロドトキシンの化学式はC11H17N3O8になる。テトロドトキシンは主に真正細菌が生成するアルカイロイドであり、フグにはこの毒を生成する能力はない。食物連鎖の過程で捕食者が被捕食者の体内に含まれる物質を蓄積してゆく「生物濃縮」により毒を持つものと考えられている。この毒はフグのほかにもイモリなどの両生類、スベスベマンジュウガニなどの甲殻類、ヒョウモンダコなどの軟体動物、魚類ではツムギハゼなどが持つことが知られている。これらの動物はテトロドトキシンに対して強い耐性を持つが、完全に無毒化することはできず、多量のテトロドトキシンを投与されると中毒症状を起こし死んでしまうことが分かっている。

 テトロドトキシンの研究は19世紀後半に東京帝国大学(現在の東大)で始まり、1909年に田原良純により単体分離に成功している。しかし田原の分離法では抽出率が低く、化学的に安定しない状態での分離であり、構造は判別できなかった。テトロドトキシンの構造が判別したのは約50年後、1970年になってからである。

 テトロドトキシンの毒性は細胞の伝達物質の働きを抑制することである。人間の細胞の表面には電位依存性ナトリウムチャンネルが存在し、これが神経からの電気的な信号を捉え体の各機能を制御しているのであるが、テトロドトキシンはこのナトリウムチャンネルの働きを抑制してしまうのである。このためテトロドトキシンを接種したものは麻痺を伴う様々な症状を起こすことになり、最終的には呼吸を司る神経も麻痺し、呼吸困難により死亡することになる。テトロドトキシンは細胞自体には影響を与えず、体内で少しずつ分解されるので呼吸を持続する事ができれば毒に当たっても助かる可能性はある。だが実際には呼吸が止まってから人工呼吸器に切り替えるタイミングは難しく(呼吸がある間に人工呼吸器をつけるのは気管に異物混入の拒否反応をされ取り付けることは出来ない)呼吸停止状態になった中毒患者の救命は現在の医療でも難しい部類に入るという。

 人間がテトロドトキシン中毒になるのは、ごく稀にヒョウモンダコに噛まれる事例をのぞけばほぼすべてがフグを食べてのことである。近年になってからも大相撲力士の沖ツ海福雄・福柳伊三郎、歌舞伎俳優の板東三津五郎がフグ中毒で亡くなっている。板東三津五郎の場合はフグ調理師免許を持った人物が調理したもの(三津五郎が特に毒性の高いフグの肝を数人前出すように強制したとも言われている)であるが、ほとんどの場合フグ食中毒は自分で調理したものや、免許の無い人が調理した者を食べて中毒を起こしている。資格を持った人物が捌けばフグは決して危険な食材ではないが、フグは高級料理でなかなか庶民では食べられずつい素人が料理してしまうというところにフグ食中毒の危険性がある。
 フグに含まれるテトロドトキシンはフグの腸内細菌が供給源ではないかとも言われ、完全に隔離し餌を調整して毒の含まないフグを育てても、天然フグと一緒に泳がせただけで毒を生成してしまうとの研究結果もありフグの無毒化にはまだ成功していない段階である。たとえ無毒化されたとしてもコスト面を考えると免許者が調理したフグに値段的に拮抗するかは微妙なところであろう。

 「フグは食いたし命は惜しし」という狂歌があるが、現在でも年間十数件の食中毒事件が起こり、数年間隔で犠牲者も出ている。そのほどんどすべてが無免許料理者による調理で起こっている現実を考えると前記の狂歌は決して昔のことではないと実感せざるを得ないのである。

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 テトロドトキシンを持つ動物、アカハライモリ。ただ毒の量はごく微量で仮にアカハライモリを食べて自殺しようとすると、約五キロのアカハライモリを食べなければならないという自殺に匹敵する苦行を体験せねばならない。
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by narutyan9801 | 2013-10-06 20:44 | 妄想(その他) | Comments(0)