鼈の独り言(妄想編)

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カテゴリ:妄想(その他)( 8 )

胡椒 ~古代ローマ人も愛した香辛料の王様~

 古代ローマ帝国では様々な食材が料理され食された記録が残っているが、ウナギもまたローマ人が好んだ食材である。その調理法がまた興味深い。背開きにしたウナギの身を適当な大きさにぶつ切りにして串を打ち、炭火でじっくりと炙りガルムという魚醤に蜂蜜やナツメヤシの実などを加えた甘辛いタレをつけて食していた。タレの製法やウナギの処理などに多少の差異はあるが、基本的には日本の江戸時代後期に考案された「蒲焼き」と同じ料理である。ところでウナギは脂っこい食材であり食する際には味を引き締めるための「薬味」が欲しいところである。日本では自生していた山椒を薬味に用いていたが古代ローマ帝国では世界帝国らしく遠国から輸入した薬味を用いていた。今回は古代ローマ人も愛した香辛料「胡椒」を考察したい。

 胡椒はインド原産のつる性の植物で種子を香辛料として用いる。この種子は発芽率が悪く胡椒の栽培を行う場合は接木栽培を行うことになる。接木をしてから果実をつけるまでには数年かかり、またいわゆる連作障害が発生しやすく栽培にはかなりの労力がかかる植物である。

 胡椒の実は完熟前には表皮は緑色、完熟すると赤色を帯びる。この状態のものをそれぞれ青胡椒、赤胡椒と呼んで産地ではこれを香辛料や食材として用いることも多いが、日本でよく目にする胡椒は青胡椒を乾燥させた黒胡椒、赤胡椒を乾燥させ表皮を剥いだ白胡椒である。胡椒の種類それぞれ風味が違い、食材との相性によって使い分けられている。

 胡椒の風味の主成分はヒペリンという物質である。ヒペリンには味覚を刺激する効用のほかにも抗菌・防腐・防虫の作用があり、胡椒は香辛料だけではなく食料の防腐剤として利用されてきたのである。またピペリンには薬効作用もあり下痢、嘔吐、腹痛などに胡椒が処方されてきていた。最近の研究では抗がん作用、抗酸化作用にも効果があるといわれている。また生体の代謝を一時的に阻害し薬などの薬効を向上させる効果が期待できるとの研究もある。

 胡椒がいつから香辛料として用いられているかは詳しくは分からないが紀元前4世紀のギリシャの書物には胡椒の記載がありこれ以前から地中海世界では胡椒を輸入していたと考えられる。ローマ帝国が栄えていた時代は高級品ではあるがそれなりに安定した量の輸入があったと思われるがローマ帝国の衰退により胡椒の価値は暴騰し西ローマ帝国との同盟交渉を一方的に破棄された西ゴート王アラリック一世は賠償として黄金とともに胡椒を要求したといわれている。

 7世紀になると地中海の制海権はイスラム諸国が制圧することになり胡椒はますます入手が困難な品物になる。中世ヨーロッパでは胡椒が貨幣の代わりに用いられたり金と胡椒が同重量で取引されたと言われている。造船や航海技術の発達によるいわゆる大航海時代を迎えるとヨーロッパ諸国は胡椒を求めて航路の開拓を進めるようになる。かのコロンブスも西回りでインドへ向かう航海を計画した際、スペイン王室と交わした契約の中に「インドに到達した暁には胡椒を持ち帰ること」との条文があったと言われている。彼は現在の西インド諸島にたどり着くがそこは胡椒の産地ではなかった。コロンブスは胡椒がどういう植物なのかよく分からずたどり着いた地にあった口にすると刺激のある植物を「胡椒」として持ち帰ったのである。これが胡椒と同じように人類の食物史に大きな影響を与えることになる「RED PEPPER」唐辛子である。

 日本に胡椒が伝来したのは6世紀後半から7世紀にかけてと考えられていて7世紀半ばの正倉院に納められた品々の目録には「胡椒」の記載がある。胡椒は最初は生薬として用いられていたが平安時代には調味料として用いられるようになる。胡椒は中国や琉球を介して比較的安定した量が輸入され唐辛子が日本に伝わる以前は山椒と並んで用いられた香辛料であった。唐辛子は日本でも栽培可能で輸入に頼らざるを得ない胡椒に置き換わって唐辛子が用いられるようになったと考えられている。

 現在胡椒は原産地のインドだけでなく東南アジアでも栽培が盛んで世界各国どこでも入手可能な調味料の一つになっている。その反面胡椒栽培には手間がかかる割に実入りが少なく栽培放棄される農園もあったと言われている。ところが中国など新興国での需要が高まり近年胡椒の価格は高騰の兆しを見せているという。紀元前より富を生み出してきた胡椒は現在に至っても大きな価値を秘めているのである。
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    胡椒の実。右の房は未成熟の実、左の赤みがかった実がやや成熟の進んだ実である。
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by narutyan9801 | 2016-09-06 02:23 | 妄想(その他) | Comments(0)

日付変更線 ~人間の都合でねじ曲げられる昨日・今日・明日~

 人類が「時間」の基準として利用してきたものは「地球の自転周期」である。すなわち地球が一回転時点する時間を「一日」という単位で捉え、「一日」を細分化することにより「時分秒」という時間単位を得たのである。人類の活動範囲が大きくない時代は日付の基準を設ける必要は無かったが、人類の活動が地球規模にまで拡大すると移動により起こる日付の矛盾を防ぐための基準が必要とされるようになる。今回はこの日付の基準「国際日付変更線」を考察したい。

 地球は球形をしている。地球上を移動し一周して元の位置に戻ったとすると移動者は物理的運動で暦の進みを自転方向に順方向なら+1、逆方向ならー1していることになる。しかし移動者には暦のずれは自覚できないため移動者には暦の方がずれたと自覚してしまうことになる。この問題は人類が初めて世界一周を成し遂げたマゼランの航海ですでに起こっていた。マゼラン艦隊では暦を正確に記録していたがスペインに帰還した際に照会したところ彼らの暦は一日遅れていたことが判明したのである。彼らは自らの暦の方が正確であると主張し、ついにはローマ教皇に使者を出し審議を依頼するという騒動にまで発展したのである。彼らは自らの航海で彼らが本来受けたであろう地球の自転を一回減らしたことに気づかなかったのである。

 原因が分かってしまえば笑い話ですむ問題であったが、いざ海外に領土を持ち頻繁に行き来する大航海時代を迎えるとこの日付の問題は無視できない事態となる。そこで陸地のない太平洋上で線引きを行い、西から東に越えた場合には日付を一日戻し、逆に東から西に越えたときは日付を一日進めることにしたのである。日付変更線の始まりであるが、現在のように国家間の調整により線引きをしたわけは無く悪く言ってしまえば利用する国の都合で現在から見ればかなり強引な線引きが行われていたこともある。

 たとえばスペイン統治時代のフィリピンは日付変更線の東側とされていた。スペインはフィリピン統治の権限の多くをメキシコのアカプルコにおいた総督が握っており統治上メキシコとフィリピンの日付が同じ方が都合が良かったのである。この場合日付変更線はベーリング海峡から千島列島、日本列島の側を通り、パシー海峡から南シナ海にはいり、ミンダナオ島の南からニューギニア、ソロモン諸島の北を通って南極に向かうような線引きになる。江戸時代初期にローマに赴いた支倉常長は日本を出航してすぐ日付変更線を跨ぎ、帰りは日本よりも西にあるフィリピンに居るにも関わらず、日本より一日遅い日付で時を過ごしていたことになる。この場合日本とフィリピンの時差はー25時間に達していた。もっとも当時の日本は太陽太陰暦、フィリピンはグレコリオ歴だったので日付変更線による暦のずれは暦そのもののずれを修正する時点で解決してしまい、問題にならなかったようである。

 同じような問題がロシア統治時代のアラスカでも起こっている。アラスカの日付は当時のロシア帝国の日付に併せて英領アメリカ(現在のカナダ)との国境沿いに設定されていた。またこの当時ロシアはユリウス歴を使っていたので隣接する英領アメリカとは日付、そして時間も若干ずれが生じていたのである。1867年アメリカはアラスカを買収するが、アメリカに権限が移譲される際アラスカではユリウス歴1867年10月6日の翌日がグレコリオ歴1867年10月18日とする少々強引な暦の変更が行われている。この変更は午前0時に行われたので、日付変更線がベーリング海峡に移されたことによる日付の一日戻すことと、10月6日が終わったことが打ち消しあい暦のずれのみの修正だけが行われたのである。

 近年でもこうした日付変更線の見直しによる暦の移動は行われている。1979年にイギリスから独立したキリバスは国土が日付変更線で分割されており国土間で曜日が違うという問題を抱えていた。これを解決するために1995年1月1日に日付変更線を国土の東側まで移動させ、国内の曜日を統一されることになった。この措置によりキリバス最東端のカロリン島が日付変更線の東側に最も近い地点となった。ちなみ日付変更線の西側に最も近い地点は太平洋戦争中に日本が占領したこともあるアリューシャン列島のアッツ島である。

 日付変更線の大きな問題は最初に書いたとおり移動している人物には自覚できないことである。たとえばジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」では主人公たちは賭をした80日では戻れず81日かかってしまったが、日付変更線を跨いでいて日付が戻されて80日間の世界一周が完遂されたりという落ちで結ばれている。赤松健のマンガ「ラブひな」では架空の島パララケルス島を日付変更線が通っており、島の西側では消印有効の期限の翌日になっていても島の東側では期日内だったというトリックが描かれている。実際問題日付変更線の西側から深夜離陸した飛行機が日付変更線を越え翌朝着陸した地点では出発から二日後だったという路線もあり、おそらく地球の自転が何らかの変化を見せない限り永遠に旅行者を惑わすことになるであろう。

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日付変更線の東側に最も近い陸地、カロリン島。地球上で最も早く一日が始まる島ということで観光客が訪れる美しい珊瑚礁であるが基本的に無人島である。キリバスは観光PRのため島の名前を「ミレニアム島」と変更している。
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by narutyan9801 | 2013-10-25 14:25 | 妄想(その他) | Comments(0)

シガテラ ~捕食魚すべてが毒魚になるかもしれない毒~

 いわゆる「有毒生物」と言われる生物が「毒」を得る方法は大きく分けると二つの方法がある。一つは消化酵素などから自ら毒を作り出す方法である。毒グモや毒蛇と呼ばれる動物がこれに該当する。もう一つが他の生物が作り出す毒を利用する生物である。これには先日書いた「テトロドトキシン」を利用するフグ類やある種のアリから毒を得て利用しているといわれるヤドクガエルなどが該当する。この類の生物は他の生物の毒を食物連鎖の過程での「生物濃縮」によって取り込むことが多い。フグ類やヤドクガエルは毒を「積極的に利用するため」捕食者は警戒することになるが、自然界に存在する毒の中には生物濃縮により「捕食者がいつの間にか毒を蓄積し、食中毒を起こしてしまう」という種のものがある。今回は自然界での生物濃縮毒の一つ、「シガテラ」について考察したい。

 「シガテラ」とは熱帯地方に生息する植物プランクトンが生成する毒素である。特に渦鞭毛藻類の仲間が多く分泌するが、他のプランクトンの毒もあり一般的には複数の植物プランクトンの毒素が混じり合っているものである。「シガテラ」の語原はキューバに移住したスペイン人が現地で「シガ」と呼ばれていた貝を食べて食中毒を起こしたことから名付けられたという説がある。
 シガテラによる食中毒の特徴は食中毒の原因となる食べ物が特定できないところにある。海水中にある植物プランクトンは動物プランクトンに食べられ、その動物プランクトンを小魚が食べ…という属目連鎖の過程で捕食者に蓄積していくため海水中の捕食者であればシガテラの影響を受けている可能性がある。また植物プランクトンの生息密度は濃淡があるため、ある地点では無毒の魚が別の地点では有毒魚になっていることもあり、食中毒の原因を特定するのは非常に困難であった。中世から知られていたシガテラ中毒の原因が植物性プランクトンによるものであると分かったのは1970年代になってからである。

 シガテラ中毒を起こす原因物質は現在20種類以上が知られている。これらの物質が複合的に作用することになるが、主な作用は神経伝達の阻害である。中毒を起こした患者は消化器官の不調やめまい、頭痛などの神経症状、重篤な場合には血圧の異常降下、神経伝達の異常(特に冷たさに対する異常反応)などを起こす。ただ、現在までに日本で起こった中毒事件での死亡例は無いと思われる(熱帯地方では死亡例も報告されている)

 ただ今後、地球温暖化による海水温上昇の影響で日本での発生件数増加の可能性が高まっている。日本での発生は1980年代までは沖縄県での発生例しか知られていなかったが、1990年代には宮崎県、千葉県など黒潮が通る沿岸地域での発生が報告されている。シガテラの怖い点は発生する魚種が特定できない点である。千葉県の発生例では発生源となった魚はイシガキダイであった。イシガキダイは商業的な漁獲は少ないが磯釣りの人気魚でありなかなか旨い魚である。普段食中毒の発生源と考えられない魚が毒に犯されているという事は考えてみると恐ろしいことである。シガテラの簡易的な検査器具はすでに販売されているが、現状の対策としては漁協などで出す注意情報などを参考にするしかないと言える。
 毒を積極的に利用する生物は大抵派手な「警戒色」を持っているものである。まったく毒を感じさせないところに毒がある。シガテラとはそんな不気味な雰囲気を持った異質な毒である。

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 オニカマス。英名のバラクーダの方がよく知られている。ゲームフィッシュとして知られるこの魚は日本で唯一シガテラ中毒の危険性のため食用が禁止されている魚である。
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by narutyan9801 | 2013-10-08 08:51 | 妄想(その他) | Comments(0)

テトロドトキシン ~フグの体内に潜む猛毒~

 幕末の侠客、新門辰五郎が死に臨んで残した辞世は「思いおく 鮪の刺身鰒汁 ふっくりぼぼにどぶろくの味」である。江戸っ子である辰五郎の好物は鰹ではなく鮪だったことにも興味を引かれるが、辰五郎は死に臨んでも「フグ」の味は忘れられなかったらしい。大好物というからにはそれなりの頻度で辰五郎はフグを食していたと思われる。
 日本人がフグを食し始めたのは縄文時代からと言われており、縄文人のゴミ捨て場だった貝塚からフグの骨が出土している。しかしフグの体には毒があり、多くの人々がフグの毒で命を落としてきた。その毒が解明されたのは数千年に及ぶフグ食の歴史から見れば最近、20世紀に入ってからである。今回はフグに含まれる猛毒「テトロドトキシン」を考察したい。

 テトロドトキシンの化学式はC11H17N3O8になる。テトロドトキシンは主に真正細菌が生成するアルカイロイドであり、フグにはこの毒を生成する能力はない。食物連鎖の過程で捕食者が被捕食者の体内に含まれる物質を蓄積してゆく「生物濃縮」により毒を持つものと考えられている。この毒はフグのほかにもイモリなどの両生類、スベスベマンジュウガニなどの甲殻類、ヒョウモンダコなどの軟体動物、魚類ではツムギハゼなどが持つことが知られている。これらの動物はテトロドトキシンに対して強い耐性を持つが、完全に無毒化することはできず、多量のテトロドトキシンを投与されると中毒症状を起こし死んでしまうことが分かっている。

 テトロドトキシンの研究は19世紀後半に東京帝国大学(現在の東大)で始まり、1909年に田原良純により単体分離に成功している。しかし田原の分離法では抽出率が低く、化学的に安定しない状態での分離であり、構造は判別できなかった。テトロドトキシンの構造が判別したのは約50年後、1970年になってからである。

 テトロドトキシンの毒性は細胞の伝達物質の働きを抑制することである。人間の細胞の表面には電位依存性ナトリウムチャンネルが存在し、これが神経からの電気的な信号を捉え体の各機能を制御しているのであるが、テトロドトキシンはこのナトリウムチャンネルの働きを抑制してしまうのである。このためテトロドトキシンを接種したものは麻痺を伴う様々な症状を起こすことになり、最終的には呼吸を司る神経も麻痺し、呼吸困難により死亡することになる。テトロドトキシンは細胞自体には影響を与えず、体内で少しずつ分解されるので呼吸を持続する事ができれば毒に当たっても助かる可能性はある。だが実際には呼吸が止まってから人工呼吸器に切り替えるタイミングは難しく(呼吸がある間に人工呼吸器をつけるのは気管に異物混入の拒否反応をされ取り付けることは出来ない)呼吸停止状態になった中毒患者の救命は現在の医療でも難しい部類に入るという。

 人間がテトロドトキシン中毒になるのは、ごく稀にヒョウモンダコに噛まれる事例をのぞけばほぼすべてがフグを食べてのことである。近年になってからも大相撲力士の沖ツ海福雄・福柳伊三郎、歌舞伎俳優の板東三津五郎がフグ中毒で亡くなっている。板東三津五郎の場合はフグ調理師免許を持った人物が調理したもの(三津五郎が特に毒性の高いフグの肝を数人前出すように強制したとも言われている)であるが、ほとんどの場合フグ食中毒は自分で調理したものや、免許の無い人が調理した者を食べて中毒を起こしている。資格を持った人物が捌けばフグは決して危険な食材ではないが、フグは高級料理でなかなか庶民では食べられずつい素人が料理してしまうというところにフグ食中毒の危険性がある。
 フグに含まれるテトロドトキシンはフグの腸内細菌が供給源ではないかとも言われ、完全に隔離し餌を調整して毒の含まないフグを育てても、天然フグと一緒に泳がせただけで毒を生成してしまうとの研究結果もありフグの無毒化にはまだ成功していない段階である。たとえ無毒化されたとしてもコスト面を考えると免許者が調理したフグに値段的に拮抗するかは微妙なところであろう。

 「フグは食いたし命は惜しし」という狂歌があるが、現在でも年間十数件の食中毒事件が起こり、数年間隔で犠牲者も出ている。そのほどんどすべてが無免許料理者による調理で起こっている現実を考えると前記の狂歌は決して昔のことではないと実感せざるを得ないのである。

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 テトロドトキシンを持つ動物、アカハライモリ。ただ毒の量はごく微量で仮にアカハライモリを食べて自殺しようとすると、約五キロのアカハライモリを食べなければならないという自殺に匹敵する苦行を体験せねばならない。
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by narutyan9801 | 2013-10-06 20:44 | 妄想(その他) | Comments(0)

トリアージ ~修羅場での「救命順位」~

 医療の基本方針は「患者の救命」と言っていいだろう。しかしながら大規模災害などにより医療能力のキャパシティを越える患者が発生した場合、医療効率を上げるために治療の優先度を判定することがある。今回はこの判定「トリアージ」を考察したい。

 トリアージは大規模災害など多数の負傷者が発生した場合救命の順序を判定するための基準であり、直接治療業務に携わらない医療従事者が行うこととされている。負傷者の数や負傷の度合い、治療機関の数や搬送距離などから判定を行うことになる。

 トリアージの歴史はナポレオン戦争の時代、フランスで行われたことが起源とされている。フランス革命頃までは戦争による負傷者は負傷者の地位や能力により優先順位があり、下級兵士への治療の優先度は低かった。フランス革命で国民軍を創設したフランス軍は身分による治療優先度をその成り立ち上撤廃せねばならなかったが、戦場のの負傷の程度には差があり、治療の度合いによる判別が行われるようになる。これがトリアージの始まりとされる。
 その後ナポレオン戦争の激化によりトリアージも次第に変化してゆく事になる。対仏大同盟によりヨーロッパ列強の多くと戦争を行わなければならなくなったフランス軍は早期治療が可能で戦力復帰できるものに治療の優先度を高めるようになる。さらに身分、能力による治療優先度も復活しトリアージは軍隊の戦力回復のための手段と化してゆくのである。クリミア戦争でナイチンゲールが献身的に治療した重傷患者は軍隊のトリアージで治療優先度を下げられた人々であった。

 日本にトリアージの制度が持ち込まれたのは明治21年の事である。後の文豪森鴎外はヨーロッパ視察の際トリアージの概念を知り、陸軍軍医の間に伝えていた。しかし翌年編纂された陸軍衛生教程にはトリアージは取り入れられなかった。この頃の日本は江戸時代末期に結んだ不平等条約撤廃を念願としており、赤十字国際条約に記載された差別的治療にトリアージが抵触するという懸念があったためである。後の日露戦争ではロシア軍捕虜に対しても日本軍側はできうる限りの治療を行っておりこの判断が良い方向に働いたと言える。

 とはいえ実際の野戦病院ではトリアージを前提とした治療を行わなければならず、昭和期には軍医関係者のみが理解できる「隠語」を使ってのトリアージが行われるようになる。日本陸軍におけるトリアージは4段階に分けられており

 1 隊内での治癒が可能なもの
 2 自力歩行が可能なもの
 3 担架による搬送が必要なもの
 4 助かる見込みの無いもの

に分けられていた。判定に「自力歩行」や「担架にによる搬送」があるのは日本陸軍の輸送能力の事情によるものとではないだろうか。

 意外かもしれないがアメリカ軍はトリアージの導入に消極的であった。トリアージの思想は命の選別であり思想的には民主主義に反することである。また十分な医療体制がとれればトリアージを導入する必要性は薄い。第二次大戦までのアメリカ軍は医療設備が(他の国から見れば)充実しており、思想的にトリアージ導入を避けていた。そんなアメリカ軍も戦闘の規模の拡大などから朝鮮戦争以降はトリアージを導入している。

 現在行われている医療トリアージは概念としては戦場のトリアージと同じである。多数の死傷者が発生し救命治療のキャパシティを越える場合治療の優先度を決めるための制度であり、負傷者が少なく救命治療が十分行える状況ではトリアージは行われない。医療トリアージの規格統一は日本が先進的で、阪神・淡路大震災の教訓からトリアージ判定の表記方法として緑・黄色・赤・黒で表示する「トリアージ・タッグ」が考案、実施されている。国単位でトリアージの規格が統一されたのは日本が最初である。

 トリアージは人の生命に関わることであり、まだ歴史的にも浅く問題点も多い。トリアージは救命医療の状況と負傷者の状況から判断するものであり、負傷の度合いから判別できるものではない。たとえばA事故では「赤(緊急治療)」と判定され搬送、救命できたことに対しB事故では同程度の負傷で「黒(救命不能)」と判定され死亡してしまうなどということもありうる。

 また「黒」と判定された負傷者も十分な医療体制が整っていれば救命可能な状況な場合もある。たとえば心肺停止の負傷者が呼吸停止直後から蘇生処置を行えば救命可能な場合もある。しかし救命治療の現場の状況により早期に蘇生措置が行えない状況で、他の負傷者の治療を優先した方が全体の救命効率が上がると思われるならば判定を「黒」とせざるを得ない場合も出てくるだろう。

 この判定をする側の心理的負担、判定をされた側の遺族の心情は双方に深い心の傷を負わせることが懸念される。事実多くのトリアージが実行された「福知山線脱線事故」ではトリアージ判定の苦悩や疑問が判定側、遺族双方に残っていることがテレビ番組で放送されている。

 日本は災害の多い国である。また公共移動方法も多くいつ災害や事故に巻き込まれるか分からない。いつ自分に「トリアージ・タッグ」が付けられても不思議ではないのである。付けられたタッグの色を見て受け入れられるかどうか(タッグは患者に見見えないよう配慮して付けられるそうだが)自分はちょっと自信が無い…。
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by narutyan9801 | 2013-08-18 10:19 | 妄想(その他) | Comments(0)

トーロンマン ~2400年保存されていた古代人の遺体~

 動物は死亡してしまうと骨以外の組織は腐敗、分解され人工的に保存処理を行わないと残らないものであるが条件が整えば骨以外の組織も長期間残ることがある。こうした死体の多くは乾燥地域で遺体が腐敗前に乾燥してしまう「ミイラ」化したものであるが、湿潤状態でも遺体の脂肪分が変質し蝋のような状態になった「死蝋」と呼ばれる状態で長期間保存されることがまれにある。今回はデンマークで発見された紀元前400年前の人物「トーロンマン」を考察したい。

 「トーロンマン」の発見は1950年5月6日、デンマークのトーロン村に住んでいた住民が近くの渓谷に堆積していたピートを切り出して運搬中、その中に遺体が埋まっているのを偶然発見したことによる。トーロンマンの顔が余りによく保存されていたため発見者は最初近年殺害され遺体が埋められていたと思ったそうである。このためトーロンマンは最初殺人事件の被害者として警察に届けられている。しかし警察はトーロンマンが皮の帽子と腰に巻いたベルトしか付けていない状態であることと、ピートが近年掘り返された跡がないことからかなり古い年代の人物と断定し、考古学者を呼んで鑑定を依頼する。そしてこの遺体がおそらく2000年以上前の遺体と断定され、ひとまず近年の殺人事件でないことが立証されたのである。後に放射性炭素年代測定法によりこの遺体はおよそ2400年前のものであることが分かっている。

 トーロンマンは発見時に首に縄がかたく巻き付いており、他殺であることが推察されていた。しかしトーロンマンの発見時遺体は足が折り曲げて体の前に揃えられ、体の左側面を下にして丁寧に埋葬された状態で発見され、目立った外傷は発見されなかった。そこでトーロンマンの死因を探るべくX線検査と内蔵の状態が検査されることになった。
 X線の調査では特に目立った外傷は発見されなかったが舌が膨張しており、これは絞首刑を受けた受刑者にみられる特徴であった。なお現代の絞首刑受刑者にみられる頸椎の損傷はトーロンマンには見られなかった。これは現在の絞首刑が窒息による死ではなく、頸椎損傷による死を起こすために受刑者の落下距離などを決めているのに対し、トーロンマンはさほど落下距離がない状態で絞首刑を受けたためと思われる。頸動脈の圧迫で意識はさほど長くない時間で途切れただろうが、それまでトーロンマンは苦痛に耐えなければならなかったことが推察される。

 トーロンマンの内蔵の調査では、内蔵の内容物からトーロンマンはその死の12時間以上前から何も食べていなかったことが推察されている。内容物からは大麦などの穀類、タデやナズナなどの野菜、カモミールなどのハーブの類まで20種類を越える植物質のものが発見されているが、動物質のものは発見されなかった。内蔵の状態からも動物質のものを食べていた痕跡は発見できず、トーロンマンは本人の意志はどうあれ、状況として「ベジタリアン」だった可能性が高い。トーロンマンの最後の食事は植物質だけのものであるが、様々なものが入れられ当時の生活状況から推察すると特別に作られた料理である可能性が高い。

 その他の特徴としてはトーロンマンの年齢であるが、親知らずが生えており、20代以上であることが推察されている。身長は約161cmで、これは当時の人々としても小柄なほうである。ただ身長は長い年月で縮んでしまった可能性もある。トーロンマンの髪は短く切りそろえられており、顎には1mm程度の「無精髭」が生えていた。トーロンマンは毎日髭を剃っていたが死の当日は髭を剃らずに死に臨んだことが推察される。

 これらの特徴からトーロンマンは宗教的儀式の「生け贄」それも戦争捕虜などを無理矢理生け贄にしたわけではなく、時間をかけて準備された「生け贄」であることが推察される。生け贄になることがトーロンマンの意志であったことかは推察することはできないが…。

 現在トーロンマンはデンマークのシルケボー博物館に展示保存されているが、残念ながら展示されているのは頭部のみが本物で、その他はレプリカである。発見当時トーロンマンをそのまま保存するだけの技術は確立されておらずトーロンマンは遺体の頭部を切断、保存処理を施しそれが現在展示されている。遺体の他の部分は一部がホルマリン保存されるが、体組織のほとんどはその後腐敗し消失してしまっている。なお保存状態のよい右手親指からは指紋が採取され、警察の指紋記録として保管されているそうである。

 それにしても絞首で死んで、死んでから2000年以上後に斬首とは…。トーロンマンもトホホ…と思っているかもしれない。

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                 シルケボー博物館に展示されているトーロンマンの顔
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by narutyan9801 | 2013-06-20 09:51 | 妄想(その他) | Comments(0)

海で損をしている山

 さて、問題です。地球で高い山は?

 「エベレスト」または「チョモランマ」ですね。

 では、「エベレストの標高は何m?」

 ちょっと物知りならば「8,848m」って出てきますよね。

 んでは、「どこから測ってエベレストの頂上は8,848mなのか?」

 これも分かりますよね。「海面から測った高さ」です。こちらは正確には「干潮時と満潮時の平均の高さ」が基準になります。この平均の海水面から何m高いかが山の高さになります。富士山だと「3,776m」になりますね。(一応富士山検定3級者)

 んでは、「海がない火星での山の高さは?」と疑問に思いました。火星には太陽系最大の山「オリンポス山」があります。その高さは約27,000mと言われています。これは周囲の平原から山頂までの高さが27,000mであるからだそうです。地球のように海水面という基準がないので周囲との相対的な高さの比較の値を標高にしていることになります。

 この「周囲との相対的な比較標高」であれば、実は地球上でエベレストよりも高い山があるかもしれないのです。

 太平洋の真ん中。ハワイ島にある「マウナ・ケア山」その標高は海抜4205mで富士山よりも高いハワイ諸島最高峰の山で、現在も活動している活火山である(火山の寿命としては晩年に入っている)冬には熱帯気候にも関わらず山頂に雪が積もります。マウナ・ケアとはハワイ語で「白い山」の意味です。

 このマウナ・ケア山、海抜こそ4,205mですが、周囲の海底は水深約6,000mの深さがあり、海底からの相対標高は10,000mを超えます。研究では相対標高は「10,203m」とも言われており、山体自体の高さではエベレストを凌ぐ山になります。地球では海水面が高さの基準になるために損をしてしまった残念な山なのです。

 マウナ・ケア山はあと数十万年で火山としての寿命が尽きます。火星のオリンポス山はひとところで噴火を繰り返し他が故に大きく成長を続けたがのですが、地球ではプレート運動があり、マグマの噴出点からもう少しでずれてしまう(とはいっても数十万年というスパンですが)死火山となったマウナ・ケア山は徐々に浸食され、やがては現在のミッドウェー諸島のような姿となり海底に没することになります。
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by narutyan9801 | 2013-02-20 23:56 | 妄想(その他) | Comments(0)

今更ながら気付いた!JR東日本の看板の四角の意味

昔撮りためた鉄道写真を整理していて、今更なんですがあることに気づきました。

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東京駅ホームの看板なんですが、駅名の下にグリーンのラインがあって、中央部に水色の四角い部分がありますよね。この色は「路線」を示していたのに今さっき気付きました。この場合水色は「京浜東北線」で緑色の尖った方向が進行方向になります。東京駅から神田駅に向かうので「京浜東北線下りホーム」となるわけですね。

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同じくこれは黄緑は「埼京線」を示すので「渋谷駅埼京線下り(東京駅通らないので下りかは疑問ですが)ホーム」となります。

でも、例外ももちろんあります。

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これは中央線神田駅のホーム看板ですが、緑のラインに路線の色は有りません。これは中央線神田-東京間は路線としては東北本線として登録されているためだと思います。看板も平仮名が大きく表記され、漢字の「神田」が小さく表記されているのが通常のホーム看板と異なっています。

今更ながらホーム看板の違いを思い知らされたなぁ。もう調べることはできないのが残念だ。
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by narutyan9801 | 2013-02-04 17:15 | 妄想(その他) | Comments(0)