鼈の独り言(妄想編)

suppon99.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:妄想(病気)( 6 )

破傷風菌 ~自らの痙攣で自分の骨が砕ける病~

 先日このブログではボツリヌス菌を取り上げたが、その際比較として破傷風菌の名前を出した。最強の毒素の片一方を出しておいてもう一方を取り上げないのはなんなので、今回は破傷風菌を考察したい。

 破傷風菌も酸素を嫌う嫌気性の真正細菌で、世界中の土壌や汚泥に芽胞の形で存在している。芽胞の段階では無害であるのもボツリヌス菌と同様で、活動体になってから出す毒素が人間に害を与えるのも共通であるが、この毒素が人間に与える影響はボツリヌストキシンとは正反対の性質を持っている。

 破傷風菌の作り出す毒素はテタノスパスミンと命名されている。致死量はボツリヌストキシンとほぼ同量であるが、テタノスパスミンが神経細胞に取り込まれると神経の伝達組織を逆流し中枢神経に進入、抑制性シプナスを遮断してしまう。
 抑制性シプナスとは人間の運動能力を抑制させる神経系統のことである。人間は過剰な運動により組織の破壊を防ぐために中枢神経が運動神経にリミッターをかけているが、テタノスパスミンはこのリミッターを取り外してしまう。さらにテタノスパスミンは興奮性シプナスも遮断する。興奮性シプナスは感情などの高ぶりで過剰な運動を取らないようにするリミッターである。こうして運動を抑制するリミッターを蓮されてしまうと人体の筋肉は肉体の制御能力を失い「自らの筋肉の収縮で骨折をしてしまう」ほどの痙攣を起こしてしまう。ボツリヌス菌のボツリヌストキシンが筋肉を弛緩させる効果を持つのに対し、破傷風菌のテタノスパスミンは筋肉を収縮させる効果を持つのである。さらに破傷風菌は溶血効果のあるテタノリジンも生成するが、その効果は低く、テタノスパスミンへの対処に重点を置かなければならないため実際の治療上はほとんど問題にならないと言われている。

 ただ、テタノスパスミンは基本的に外傷に破傷風菌が侵入して増殖した場合にのみ毒性を示すものであり、さらに予防ワクチンも開発されているので医療先進国では予防が進んでいるが、発展途上国では未だ死亡率が高い病気である。

 破傷風の発症は傷口より破傷風菌が体内に侵入、増殖しないと発病しないためいわゆる細菌兵器としては使用が難しい。しかし衛生概念が今よりも低かった時代、破傷風菌は恐ろしい病気であり、いわゆるブービートラップに排泄物を付着させたのは破傷風菌の感染を狙った部分もあり、意図していないとは言え実用された細菌兵器のひとつと言えよう。

 破傷風菌は1889年に北里柴三郎が発見、純粋培養に成功しており、北里が設立した北里大学の校章及び法人のシンボルマークには破傷風菌の芽胞を図案化(マッチ棒状のもの)したものであり、北里の研究に由来して制定されたものである。
[PR]
by narutyan9801 | 2013-08-28 12:00 | 妄想(病気) | Comments(0)

血友病 ~ヨーロッパ王族の血縁に絡む病~

 人間の血液は体外に露出すると凝固する性質がある。これは染色体の中に血液凝固因子がありそれが作用するためであるが、この遺伝子が正常に機能しない場合、血液の凝固が起こらず人体に様々な影響を及ぼす場合がある。今回はこの血液凝固因子が正常に機能しない病「血友病」を考察したい。

 血友病は染色体の血液凝固因子のうちⅧ因子、ないしⅨ因子の欠損、または活性低下によって引き起こされる病気である。Ⅷ因子の異常による血友病を血友病A、Ⅸ因子の異常によるものを血友病Bと呼んでいる。血友病AとBの発生比率は1:5と言われている。
 血友病を発症するのはほとんどが男性である。これは人間の染色体の構造によるためである。血液凝固因子は性染色体上に存在する。性染色体は人間の男性は1本(XY)、女性では2本(XX)存在する。女性は性染色体が二本あるため正常な遺伝子が補完し血友病が発生しないためである。説明のため仮に血友病発生因子を持つ染色体をxとして説明すると

 血友病の男性     xY
 因子を持たない女性  XX    との子供は

 血友病を発症しない男性(XY)と血友病の保因者の女性(xX)のいずれかの誕生になる。


 血友病の男性     xY
 保因者の女性     xX    との子供は

 血友病を発症しない男性(XY)と血友病を発症する男性(xY)と保因者の女性(xX)と血友病を発症する女性(xx)のいずれかの誕生になる。


 因子を持たない男性  XY
 保因者の女性     xX    との子供は
 
 血友病を発症しない男性(XY)と血友病を発症する男性(xY)と因子を持たない女性(XX)と保因者の女性のいずれかの誕生になる。

 両親共に血友病患者であれば、子供も血友病を発症してしまう。


 と、メンデルの法則に則った法則が成り立つのであるが、必ずしも遺伝的な発症のみではなく、血友病の発生のうち1/4が両親いずれの血統にも血友病患者がいない「突然変異」的な発症との報告もある。

 血友病の症状であるが、血液の凝固不良による出血、特に内出血(深部出血)が多い。たびたび同じ部位に出血を起こすと組織の変形などを起こすこともある。治療としては血液凝固因子を体内に注入する方法が主なものである。適切な処置を行えば健常者と変わらない日常生活を送ることができる。かってこの血液凝固成分に肝炎ウィルスやエイズウィルスが含まれており、血友病患者が感染する事件が起こっている。現在は動物起因のタンパク質を使用しない血液凝固材が使用されている。Ⅷ因子、Ⅸ因子共に肝臓で生成されることがわかり、生体移植で血友病が完治した例も存在する。
 遺伝子の問題が病気の原因であり、遺伝子治療の可能性も模索されていたが、臨床試験で白血病を発症させる確率が高いことが判明し、現在は断念されている。

 歴史的に血友病を見てみると、19世紀後半から20世紀前半のヨーロッパ王室で血友病の発症者が多いことが分かっている。この血筋を辿ってゆくとイギリスのヴィクトリア女王にたどり着く、彼女の血筋にも夫のアルバート公にも祖先に血友病の患者はいなかったと思われるので、突然変異的な発生であったと思われる。ヴィクトリア女王から見て曾孫に当たるロマノフ朝ロシア皇太子アレクセイも血友病患者で、彼の治癒を祈祷した人物がロシア帝国崩壊の要因の一つとなった怪僧ラスプーチンである。

 血友病は遺伝により発病するため、体外受精による選別で発症を防ぐことは現在の医学でも可能と言われている。ただ受精卵の選別が人間が行ってよいものかどうかという倫理的問題が大きく、難しい判断が必要であろう。
[PR]
by narutyan9801 | 2013-07-01 12:11 | 妄想(病気) | Comments(0)

マラリア ~蚊が媒介する病原体は元植物プランクトン~

 蚊が媒介する病気は沢山あるが、代表的な病気としては「マラリア」を上げることになるだろう。今回は人類に大きな影響を与えてきたマラリアを考察したい。

 マラリアの語源はイタリア語で「悪い空気」の意味の「mal aria」から来ている。明治期の日本医学会はドイツを模範としたため、ドイツ語の「Malaria」がそのまま病名として日本語に定着している。マラリアは熱帯の病気と思われがちであるが、日本にも古来から「瘧(おこり)」として土着していた病であり、明治期には北海道の屯田兵の間で流行した記録もあり、熱帯地域だけに発生する病気とはいいきれない。

 マラリアは単細胞生物であるマラリア原虫がハマダラカによって媒介、感染する病気である。マラリア原虫を媒介する蚊はハマダラカ属の蚊およそ460種のうち100種類前後が知られており、そのうち40種類ほどが人間に媒介させる要因となっているとみられている。マラリア原虫は元々植物プランクトンであったらしく体内に光合成を行った葉緑素の跡が見つかっている。この元植物プランクトンが何らかの原因で動物の体内に入り込み寄生生活を送るようになったらしい。蚊の唾液から進入した原虫は肝臓の細胞にたどり着き細胞内で分裂を繰り返し、ある程度の数になると肝臓の細胞を突き破って血液中に侵入し、今度は赤血球に侵入してまた分裂→赤血球に取り付くを繰り返すようになる。マラリアに感染すると周期的に発熱を繰り返す症状が現れるが、原虫が赤血球細胞を破壊して外に飛び出す時のショックで発熱が起こる(発熱が周期性ではない種類のマラリアも存在する)数回の発熱後合併症として脳マラリア(マラリア原虫が脳の毛細血管を閉塞してしまう)や黒水症(血液中の赤血球が融解して黒い血尿や黄疸が起こる)を起こして死亡することも多い。助かってもマラリア原虫が体内に残り慢性化して数年後に再発を起こす可能性がある。

 マラリアは19世紀まで根本的な治療法が無く対処療法を行うしかなかったが、特効薬キニーネの発見によりようやく治療法が確立した。このため人工的にマラリアに感染させ、高熱に弱い梅毒トレポーマを死滅させ梅毒治療を行う「マラリア療法」という治療法も編み出され1927年にはこの治療法の発明者ユリウス・ワーグナー=ヤウレックがノーベル生理学賞を受賞している。最も現在ではより安全な抗生物質「ペニシリン」の開発によりマラリア療法は行われていない。

 マラリアは赤血球に寄生する伝染病のため、赤血球に何らかの異常があるとマラリアに対して免疫を持つことがある、鎌状赤血球症は遺伝性の病気で赤血球が鎌状に変形してしまう病気であるが、この赤血球は短時間で壊れてしまうためマラリア原虫が生育できず、この病気の人にマラリアは感染しないと言われている。実は古代エジプトの王ツタンカーメンはこの病気であり、一説に彼はマラリアで死亡したという説があるが、おそらくマラリア以外の原因で死亡したと思われる(現在は足の骨折状況から、この怪我が元で死亡したという説が有力である)

 現在日本では土着のマラリア原虫は存在しないと言われているが、かってはマラリアで命を落とした人々も多かった。歴史上の人物では平清盛が富士川の合戦後にマラリアで急死している。清盛の死で平氏の没落が加速化が進んだのは周知の通りである。
 また太平洋戦争終戦直後、反乱を起こした小園安名大佐は外地で感染したマラリアの再発により人事不詳に陥り反乱は終結、マッカーサーが厚木飛行場に降り立つことになる。歴史の節目で思わぬ影響をマラリアは起こしているのである。
[PR]
by narutyan9801 | 2013-04-30 08:51 | 妄想(病気) | Comments(0)

梅毒 ~悪名高く、謎多き性病~

 現在40代の方々が思春期時代に読んだであろう性教育の書籍はまだエイズが広まる以前の情報であったため「性病」の項目の一番最初に書かれていた病気はおそらく「梅毒」であったろうと思う。しかしこの梅毒、病原体の遺伝子ゲノムの解析が終わっているにも関わらず、由来やなぜ発病するか等のメカニズムがわかっていない病気なのである。今回はこの「梅毒」を考察してみたい。

 梅毒はスピロヘータの一種である梅毒トレポネーマの感染により発症する病気であるが,この梅毒トレポネーマは培養技術が現在まで確立されておらず、どのようなメカニズムで病気になるかがわかっていない。この梅毒トレポネーマ、何故かウサギの睾丸内では培養が可能である。ウサギの睾丸では培養できるのも不思議だが、睾丸内に入れようとした研究者もよっぽどな人物だったろう。

 また昔の話になって恐縮だが、梅毒は15世紀末、突然ヨーロッパで流行したのだが、それ以前は感染の記録が残っていない。どういう経緯か分からないが自分の思春期時代「梅毒は元々羊の病気で、誰かが羊と獣姦し広まった」という一種の都市伝説が流行ったことがある。梅毒は病状が進むと骨にゴム状の腫瘍ができるので病変が起こった骨は残るはずであるが、ヨーロッパやアジア地域では梅毒によると思われる病変は最初の流行以前には確認できない。一方アメリカ大陸の先住民には梅毒の症状がみられる人骨が発見されている。最初の流行の前後にはコロンブスの新大陸到達があり、現在考えられているのはコロンブスの新大陸発見によってアメリカ大陸を訪れたものが現地で梅毒に感染し、それがヨーロッパに持ち込まれ最初の流行に繋がったというのが現在支持されている説である。
 梅毒の日本での最初の記録は1512年の記録である。コロンブスの新大陸到達からちょうど二十年目のことであり、わずか二十年で地球を半周以上してしまったことになる。当時の日本では戦国時代で、多くの武将が梅毒に感染し命を落としてる。梅毒で亡くなったと思われる主な武将は、結城秀康(徳川家康の次男)加藤清正、前田利長などが梅毒で亡くなったと考えられている。江戸時代に入ると性風俗を通じての梅毒感染者は後を絶たず、近藤勇の義父近藤周平は弟子たちに遊女遊びでは梅毒に気をつけるよう言い聞かせていたとの証言がある。明治に入っても初代三遊亭圓朝が梅毒により亡くなっている。

 偶然かどうかは分からないが、梅毒を患った音楽家というのが以外に多い。シューベルト、シューマン、スメタナなどが梅毒に罹患している。ベートーヴェンも先天性梅毒により難聴を患ったという説もあったが、現在は梅毒説は否定的である。

 梅毒は進行すると死に至る病気のため、様々な治療法が試みられ、かなり危険な治療法も存在した。水銀を用いる水銀療法や砒素を用いる療法である。砒素を用いた療法は後に砒素から作られるサンバルザンが実際に効果があったが現在は副作用が強すぎるため用いられていない。
 さらに特異な治療法としてマラリア療法があった。梅毒トレポネーマは熱に弱く、マラリア感染により体温の上昇した人体内では生存できない。このため人工的にマラリアに感染させ、梅毒トレポネーマの死滅後、マラリアの特効薬キニーネでマラリアを治療する、まさに「毒を以て毒を征する」治療方法である。実際に梅毒の進行で東京裁判中東條英機の頭を叩くといった異常行動のため釈放された大川周明はマラリア療法を受け、石原莞爾の最後を看取るまでに回復している。ただあまりにも危険な治療法なのでこちらも現在は用いられていない。

 効果的な治療方法がなかった梅毒であるが、第二次大戦後民間でも用いられるようになったペニシリンに効果があることが分かり、現在では梅毒で死亡する人は希になっている。しかし感染者は少なくなっているものの撲滅にはいたらず、今後抗生物質に耐性をもったものが現れることもありうる。まだまだ人間にとって梅毒は潜在的な脅威を持った病気といえるのである。
[PR]
by narutyan9801 | 2013-04-03 08:52 | 妄想(病気) | Comments(0)

人類が唯一根絶できた感染症 天然痘

 1970年生まれの自分にはまだ、肩に花びらのような、またはハンコのような跡がある。日本での種痘接種は1976年に中止になり(正式に中止になったのは1980年)跡を残すことのない時代になってから数十年が経過するが、それまでに人類が被ってきた災厄は計り知れない。今回はその災厄の原因、天然痘のお話である。

 天然痘は人間のみに感染、発症させるウイルスであり、高い死亡率と強い感染力、そして治癒した後にも痘痕が残り、罹患者の精神的苦痛を残す病であった。罹患者の死亡率には色々な説があるが、40~50%というのが一般的な値と言われている。これは例えば狂犬病の発症後の死亡率がほぼ100%なのに比べれば低いといえるが、感染力が強く発病までの潜伏期間が1~2週間後とかなりの移動ができる時間であり、ひとたび流行が起きるとエピデミック(地域的流行)となり、部族単位での全滅や国家の存亡に関わる病気であった。紀元前430年、ペロポネソス戦争で籠城作戦をとっていたアテナイの城壁内で天然痘が発生し、アテナイはこの戦争に敗れ、政治的にギリシャの盟主から脱落してしまうなどの惨事を天然痘はもたらしている。20世紀に入ってもソ連の指導者ヨシフ・スターリンは天然痘の痘痕が顔に残っており、影武者との識別点と言われている。
 日本には元々天然痘のウイルスは存在しなかったと言われているが、6世紀中頃に国内に入ってきたと思われ、用明天皇(聖徳太子の父)は天然痘で亡くなったと言われている。奈良時代には政治の中枢にいた藤原四兄弟が揃って天然痘で亡くなり、度重なる遷都や東大寺大仏造営などが行われている。時代が下がっても天然痘の猛威は衰えず、伊達政宗は罹患して片目を失明しており、徳川家光や吉宗なども罹患し、幕末の孝明天皇の死因も天然痘と言われている。

 天然痘は罹患してしまうと根本的な治療方法は無く、対処療法しかすべはなかったが、一度罹患したものは発病しないことが経験的に知られていた。このため天然痘の患者の膿を健康な人に接種し、軽い天然痘を発病させて免疫を作る方法が行われていた。しかしこの方法は治らずに死亡してしまうこともあり、安全性に問題があった。
 18世紀に牛の病気である牛痘に罹患した患者も天然痘に対して免疫を持つことがわかってきた。牛痘は人間が罹患しても症状は軽く、痘痕もまれに手足の指に残る程度で安全性が高いことがわかり、1798年イギリスのエドワード・ジェンナーが使用人の子供に牛痘を接種し、回復後に天然痘を接種したところ、発病しなかった。人類はようやく天然痘に対抗できるワクチンの開発に成功したのである。

 日本ではこれに先立つこと6年、1792年に秋月藩で藩医の緒方春朔が天然痘患者から採取した膿を粉末化したものを木のへらで鼻孔に入れるという方法での免疫確立に成功している。さらに1810年に牛痘法がロシアから帰国した中川五郎次によってもたらされる。幕末には緒方洪庵により牛痘法の普及が行われ、日本での天然痘患者は急速に減ってゆく。しかし日本での自然発生の天然痘患者が0になるのは1955年。緒方春朔からは160年、緒方洪庵からでも100年以上の歳月がかかっている。ちなみにワクチン接種の副作用で天然痘の症状が出てしまうことを仮性天然痘と言うが、日本での最後の仮性天然痘の患者となったのはお笑いコンビ「オセロ」の中島知子である。

 天然痘はたとえワクチンにより免疫を取得しても、免疫の持続年数は5~10年と言われ、感染力の高さや移動手段の向上により人間の行き来が世界規模になるとパンデミック(汎発流行)を起こす危険がある。反面天然痘ウイルスは人間のみが感染し、他の動物がキャリアになることは無く、ワクチンによる感染予防による根絶が可能であった。WHOは1958年に「世界天然痘根絶計画」を立案し根絶を推進する。20年の努力の結果自然発生の天然痘患者は1977年のソマリアでの発生を最後にいなくなり、三年後の1980年WHOは天然痘の根絶宣言を行っている。現在までのところ、人類が根絶できた感染症の唯一の例となっている。

 現在、自然界に天然痘ウイルスは存在しないと言われ、そのため自分のような種痘接種を受けた世代を含めてほとんどのヒトは天然痘に対する抵抗力を持っていない。それに伴って「テロ」という新たな問題も持ち上がってきている。かってアメリカ大陸に居住していた人々は天然痘ウイルスに対する抵抗力を全く持っておらず、ヨーロッパからもたらされた天然痘により多くの人が命を落とすことになった。もし「天然痘ウイルス」を使ったテロが起きたとしたら、その被害は計り知れない。実際1978年にイギリスで保管されていた天然痘ウイルスが漏れだし、それにより罹患した女性が亡くなっている。今のところ天然痘で死亡した最後の患者がこの女性であるが、今後「最後の患者」という言葉が別の人物に使われる可能性は0ではない。

 昔プールの時間など当たり前に見ていた「種痘の跡」今後この跡を持っている人が減ってゆき、ついにはいなくなる。そういう未来であってほしいと切に願うところである。
[PR]
by narutyan9801 | 2013-03-08 09:17 | 妄想(病気) | Comments(0)

ペニシリン アオカビが作った奇跡の薬

 生物の分類は大きく分けると、生産者・消費者・分解者に分けられる。このうち分解者として分類される生物の多くはカビなどの菌類である。菌類は胞子の時期は浮遊や付着などで移動が可能であるが,一度定着してしまうと移動ができず、他の菌に食物を奪われたり、他の菌に侵されそうになっても移動で逃げる手段を持たない。この状況に対処するため、菌類の中には防衛手段を持つものもでてきた。今回はそんな菌類が獲得した防衛手段を偶然にも発見、利用することになるお話である。

 1929年、イギリスでアレクサンダー・フレミングがブドウ球菌の培養実験を行おうとしたところ、ブドウ球菌を培養使用した培養床にアオカビが発生してしまった。殺菌の不徹底で本来は実験失敗であるが、フレミングはあることに気づいた。アオカビが発生している周囲にはブドウ球菌が発生せず、アオカビの周囲に無菌状態の部分が存在しているのである。さらなる研究の結果、アオカビを液体培養し、その後アオカビを濾過で取り除いた液体にも菌を寄せ付けない作用があることを発見した。この実験でアオカビに菌を寄せ付けない物質を作り出す能力があるらしいということが判明した。その物質そのものを取り除くことはフレミングにはできなかったが、予想されるその物質にフレミングはアオカビの学名(Penicillium)の名を取ってペニシリンと名付けている。

 ペニシリンの研究はその後も続けられ、1940年にフローリーとチェインによってついに単体分離に成功する。翌年人体に用いる実際臨床で有効性が認められる。はじめペニシリンは表層培養という牛乳瓶程度の培養容器の表面で培養された菌からの抽出で大量生産ができなかったが、1943年にタンクでの大量培養方法が確立される。大量生産が軌道に乗ると、ペニシリンはまたたく間に広まってゆく。時代はペニシリンを必要としていたのである。

 1939年に第二次世界大戦が勃発し、戦場では多くの負傷者が発生していた。当時の戦争では戦争そのもので死亡する人数よりも、負傷後感染症に罹患し合併症で亡くなる人数の方が圧倒的に多かった。戦場の治療では負傷そのものへの外科的治療と供に、感染症に罹患しないための治療も求められており、それに合致した薬が「ペニシリン」だったのである。さらにペニシリンは第二次大戦で大きな役割を担ったチャーチルの命を救っている。過労で肺炎に罹患したチャーチルにペニシリンが投与され、その命を救ったのである。もしペニシリンがなかったら歴史が変わっていた可能性は否定できない。

 海外でペニシリンが多くの負傷兵の命を救い始めていたとき、日本ではペニシリンについての研究は「全く」といっていいほど行われていなかった。ペニシリンの存在が予言されたときはまだ対戦前で、情報を掴む機会はあったはずだが…。1943年になってようやくドイツの医学雑誌に掲載されていた記事からペニシリンの研究が始まる。ちなみにこのドイツの医学雑誌、大戦中に輸入されたとなるとおそらく伊8号に積み込まれていたのだと思われるが、残念ながら管理者はこのことを確認できていない。知っている方がおられたら是非詳細を教えていただきたい。こうして遅ればせながら研究が始まったペニシリンは終戦前には少量ながら生産できる段階までこぎ着けたが、前線には届かずごく少量が使われたにすぎない。連合国側でも多くの負傷兵に投与するのに手いっぱいで、民間で使用が始まったのは終戦後である。第二次大戦でもっとも多くの負傷兵を救ったのはペニシリンであるとまで言われ、発見者のフレミング、単体分離に成功したフローリー・チェインは1945年にノーベル医学・生理学賞が授与されている。

 以前このブログで「民間人で初めてペニシリンを投与されたのはアル・カポネである」と書いたが、カポネはペニシリン投与の甲斐なく亡くなっている。ペニシリンの効果は真正細菌の細胞壁の合成を阻害する薬剤である。ペニシリンが作用した真正細菌の細胞は細胞壁が形成されなくなり、細胞分裂を起こせなくなる。さらに細胞壁が薄くなると浸透圧により細胞内に水分が入り込みついには細胞が破壊されてしまう。つまりは細胞が「ひでぶ!」となるわけである。この効能はヒトを含む真核生物には効果が低く。安全性が高い薬品といえる。とはいえアレルギーを起こすことがあり、昭和30年代にはペニシリンショックによる死亡者が社会問題化したこともある。
 アル・カポネの病気は梅毒で、ペニシリンは梅毒には非常に有効な薬品である。しかしカポネの場合、すでに症状は末期状態であり、梅毒菌を駆逐しても症状が軽減する状態ではなかった。ペニシリンは真正細菌が活動を始める前に投与するのがベストであり、すでに発病から数年以上経過したカポネを救うには遅すぎたのである。

 ペニシリンの発見はその後の抗生物質の開発の先鞭をつけたものであり、偶然による発見は「奇跡の発見」と呼んでもいいものであろう。
[PR]
by narutyan9801 | 2013-03-07 09:24 | 妄想(病気) | Comments(0)