人気ブログランキング | 話題のタグを見る

鼈の独り言(妄想編)

suppon99.exblog.jp
ブログトップ

浦風型駆逐艦 ~完成しなかったタービン・ディーゼルハイブリット駆逐艦~

 近世以降国同士の戦争は直接交戦を行わなくても様々な面で他国に影響を及ぼすようになる。日本でも第四次中東戦争で「オイルショック」が起こったことは人々の脳裏に刻まれているはずである。今回は戦争により予定していた部品が届かず、その後数奇な運命を辿った二隻の駆逐艦「浦風型駆逐艦」を考察したい。

 日露戦争末期の日本海海戦で魚雷搭載の駆逐艦が夜戦で活躍したことにより日本海軍は駆逐艦の整備拡張に力を入れることになる。明治四十四年(1911年)に竣工した海風型駆逐艦はイギリスのトライバル級駆逐艦を参考にした大型駆逐艦で計画速力33ノットを実現すべくそれまでのレシプロ機関からタービン機関を採用するなど様々な新機軸を取り入れた駆逐艦であった。特に機関出力は当初の見込みよりも出力が増え、実際の運用では速力35ノットを出すことができたという。
 反面駆逐艦としては神風型は建造にコストがかかり、維持費もかかることが問題になった。駆逐艦は数を揃えることが重要で、維持費の増大は大きな問題であった。特にタービン機関の燃費が悪いのが問題視されたのである。神風型はタービンと機関を直結しており、戦闘時の出力に合わせた設計をされていた。機関は巡航用1軸、戦闘時用はそれに2軸を加えて3軸での運転としたのであるが、それでも巡航運転時の燃費が悪く、次世代の駆逐艦では巡航運転時の燃費改善が重要な問題とされたのである。

 当初はタービンとレシプロ機関との併用が検討されたが、レシプロ機関は廃熱のためのスペースが大きくなり、艦体が大きくなることから除外された。苦慮する日本海軍に英国の造船会社ヤーロー社が「タービンとディーゼル機関の併用」を持ちかけてきたのである。
 当時ディーゼル機関は開発されてまだ日が浅く、艦船への搭載は本格的に始まっていなかったが内燃機関で廃熱処理にさほどのスペースを要さず、重油を燃料として使用できるなどのメリットもあり、日本海軍はこの提案に乗り、ヤーロー社に二隻の駆逐艦を発注することにする。これが後の「浦風型」である。しかしヤーロー社、そしてその後ろに控えるイギリス海軍としてはタービンとレシプロの併用艦の実験として他国が金を出してくれるといった面持ちではなかったろうか。

 ところが浦風型建造中に第一次大戦が勃発し困ったことが起こってしまう。浦風型に搭載する予定だったディーゼル機関に必要なフルカン式継手(流体継手)はドイツのフルカン社の製品で、ドイツとイギリスが交戦国となってしまい入手できなくなってしまったのである。やむなくヤーロー社は浦風型に従来通りのタービン機関を搭載し完成させざるを得なくなってしまった。
 これには日本海軍の落胆も大きかったと思える。これより少し早い時期に日本海軍は英ビッカース社に巡洋戦艦「金剛」を発注し、その図面を譲り受け「榛名」「比叡」「霧島」を建造している。おそらくは浦風型駆逐艦も図面を譲り受け、国内で量産しようという目論見だったのではなかろうか。しかし浦風型が既存の技術のみで建造された艦となってしまい、その目論見は外れることになった。
 ただ、浦風型は日本駆逐艦としては初めて重油専燃ボイラーを搭載し、53cm魚雷を搭載するなど当時の日本駆逐艦よりも進んだ技術を持っていた点もある。しかし最大速力は30ノットと平凡で浦風型の竣工から二年後に日本国内で建造された磯風型よりも劣り(ただ磯風型のボイラーは重油と石炭の混合缶)燃費も従来型と変わらなければ浦風型の建造は徒労に終わったと感じても仕方のないところだろう。

 日本海軍は建造した浦風型の扱いに苦慮したが、第一次大戦が勃発したヨーロッパで思わぬ要望が舞い込む。当時連合国側に参戦していたイタリア海軍は駆逐艦の不足に悩んでおり、日本海軍に建造中だった浦風型二番艦の「江風」の購入を申し込んだのである。日本海軍もこれを了承し、「江風」はイタリア海軍駆逐艦「オーダチェ」として完成、第一次大戦で使用されることになる。売却代金を得た日本海軍はその代金を元に新型の駆逐艦を建造、この駆逐艦のボイラーは重油専燃缶でギアを装備したタービン機関を搭載した新駆逐艦は速力39ノットを記録する。この駆逐艦は売却された駆逐艦の名前を継承し「江風型」と名付けられることになる。

 一方日本海軍所属となった浦風は日本に回航されたが、単艦のため水雷戦隊への編入は困難であった。一時的に神風型で編成された駆逐隊へ編入されたが短期間で外されている。浦風に与えられた任務は揚子江での警備任務であった。浦風は昭和一一年に除籍されるが、その間に五藤存知、栗田健男、西村祥治などの太平洋戦争時に水上部隊を率いる提督が駆逐艦長を勤めている。除籍後浦風は横須賀海兵団の練習船を勤めていたが太平洋戦争末期の横須賀空襲で被弾、着底し戦後解体されその生涯を終えている。

 一方イタリアに売却された旧「江風」は第一次大戦を生き延び駆逐艦籍のまま第二次大戦にも参加、イタリア降伏後ドイツ海軍に接収されドイツ海軍水雷艇「TA20」となる。大戦末期の1944年11月1日に連合国水上艦艇と交戦し戦没、その数奇な生涯を閉じている。
 ある意味お荷物として誕生した浦風型であるが、竣工後は長く使用され共に戦闘でその生涯を閉じたことに関しては本望だったのではないだろうか。

浦風型駆逐艦 ~完成しなかったタービン・ディーゼルハイブリット駆逐艦~_e0287838_8573288.jpg

浦風型駆逐艦「江風」→イタリア駆逐艦「オーダチェ」→ドイツ水雷艇「TA20」と歩んだ晩年の姿。アラド Ar 196との2ショットである。
by narutyan9801 | 2013-09-18 09:09 | 妄想(軍事)