鼈の独り言(妄想編)

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チャールズ・B・マクベイⅢ世 ~インディアナポリス沈没の責めを負わされた悲劇の艦長~

 1945年7月30日未明、米海軍重巡洋艦インディアナポリスはグァム島からレイテ島に向かう途中、日本海軍の潜水艦伊58の雷撃を受け沈没する。インディアナポリスの沈没は米海軍の不手際により救助が遅れ、乗員の約3/4に当たる900名を越える戦死者を出すが、米海軍はこの沈没の責任を艦長に押しつけて事態の鎮静化を計ろうとする。今回はこの悲劇の艦長「チャールズ・B・マクベイⅢ世」を考察したい。

 チャールズ・B・マクベイⅢ世は1898年7月30日生まれ。一家は代々海軍将官を勤めた海軍一家で、父親のマクベイJrは海軍大臣を務めたこともあった。マクベイⅢ世も海軍へ進み、第二次大戦中の1944年11月からインディアナポリスの艦長に就任している。
 インディアナポリスは1932年竣工の重巡洋艦で太平洋戦争の中期からレイモンド・スプールアンス中将の旗艦を勤めることが多かった。スプールアンスはボルチモアの生まれであるが、幼少をインディアナポリスで過ごし、家庭の事情でボルチモアの母の実家に預けられるという複雑な少年期を過ごしており、「インディアナポリス」には愛着もあったといわれている。インディアナポリスの司令部設備は巡洋戦隊指揮程度の容積しかなく空母機動部隊の指揮には明らかに手狭であったがスプールアンスは司令部要員を極力削減しインディアナポリスで指揮を行っている。このときの司令部要員はほぼ同じ規模の部隊を指揮していたウィリアム・ハルゼーの司令部要員の半分程度だったといわれている。

 空母機動部隊の指揮をしつつ、インディアナポリスはしばしば上陸支援の艦砲射撃を行っている。一時的にスプールアンスの旗艦任務を解かれた時期もあったが、1945年一月には第五艦隊旗艦として旗艦任務に復帰、日本本土空襲を指揮した後、沖縄戦にも参加する。慶良間列島の砲撃に参加した後、沖縄本島の上陸を明日に控えた3月31日にインディアナポリスは特攻機の攻撃を受け、艦尾に一機が突入し損傷を被る。慶良間列島内で仮修理中を行っている際にスクリューが脱落してしまい、結局は米本土に回航して本格的な修理を行うことになり第五艦隊旗艦任務を離れることになる。修理が終わった後は再度旗艦任務に復帰させることをスプールアンスは希望したといわれているが、これがスプールアンスとインディアナポリスとの別れになる。

 米本土に回航したインディアナポリスはメイ・アイランド海軍工廠で修理を行い、ほぼ修理が完成した7月中旬、艦長のマクベイはサンフランシスコの海軍司令部から不可解な命令を受け取る。極秘にテニアン島まで荷物を運べという命令であったが、肝心の荷物の詳細はマクベイ艦長にも打ち明けられなかった。マクベイにしてみれば何とも不気味で厄介なものを預かったような心境だったろう。
 この荷物は後に広島に投下させる原爆「リトルボーイ」であった。以前「トリニティ実験」で書いたことがあるが、ウラン235を使用するこの原爆は原料のウラン235が希少で一発しか製造できず、確実な運搬と機密性を考え、ちょうど近場にいたインディアナポリスに白羽の矢がたったのだろう。「リトルボーイ」を積み込んだインディアナポリスは7月16日にサンフランシスコを出港、途中ハワイ・真珠湾に寄港した後、7月26日に無事テニアンに到着、厄介な荷物は陸揚げされ、インディアナポリスは重要な任務を完了する。任務を終えたインディアナポリスはすぐ出港しグァムに移動、ここでレイテへ向かうことを指示されたインディアナポリスは7月28日にグァム島を出港、レイテを目指すがインディアナポリスがレイテに向かうことが肝心のレイテに連絡されておらず、これがインディアナポリス沈没後の救助作業開始の遅れの原因になった。

 レイテに向け順調に航海を続けていたインディアナポリスは日付が変わった7月30日午前0時5分(奇しくもマクベイ艦長の誕生日である)、突如雷撃を受ける。雷撃を行ったのは日本海軍の潜水艦伊58で当時回天特別攻撃隊「多聞隊」を乗せ攻撃機会を窺っていたが夜間のため回天ではなく通常魚雷で攻撃を行ったものであった。

 雷撃を受けたインディアナポリスには二カ所の破孔が認められたため命中魚雷は二本というのが公式に記録されているが、インディアナポリス乗員や攻撃した伊58は命中魚雷は三本としている。これは伊58が前部魚雷発射管の六門を一斉射撃すると艦のトリムが狂うため、三門ずつ時間差をつけて発射し前発の魚雷命中の破孔に後発の魚雷が飛び込み艦の内部で炸裂したためと思われる。この内部で炸裂した魚雷の爆発で第二主砲弾薬庫が誘爆を起こし、これがインディアナポリスの致命傷になる。インディアナポリスは「SOS」を一回打電したところで電気系統が切断され魚雷命中から12分後には沈没してしまう。

 沈没の際犠牲になった乗員は約300名と言われ、翌朝の時点で約900名が海上で漂流していた。しかしここからインディアナポリス乗員の苦闘が始まる。インディアナポリスが沈没直後に発した「SOS」をアメリカ海軍では各所で受信していた。しかしインディアナポリスがグァムから出航、レイテに向かうということは事前に通達されていなかったためSOSの発信者がインディアナポリスであることが分からなかったのである。さらにテニアン島までの原爆輸送任務が極秘事項だったためインディアナポリスがサンフランシスコを出航していたこと自体米海軍のごく一部しか把握しておらずインディアナポリス遭難の発覚を遅らせてしまうことになる。

 8月2日に哨戒中のカタリナ飛行艇が多数の漂流者を発見し、ようやく救助作業が始まるが、インディアナポリス乗員は次々と体力を消耗し、海に沈んでいってしまう。そこに鮫の襲撃への恐怖が加わるのである。鮫の襲撃は実際には少数であったと言われているが、救命ボートも無く海に漂流しているインディアナポリス乗員へ精神的圧迫を加え、多数の乗員が精神的恐慌から溺死してしまう。結局漂流中に直接沈没で戦死した人数の倍以上の人命が失われ、救助されたのはマクベイ艦長以下316名にすぎなかった。

 救助されたマクベイ艦長は11月に軍法会議にかけられることになる。彼の罪状は
  1 魚雷回避に有効なジグザグ航法(日本式に言えば之字運動)を怠ったこと
  2 退鑑命令を出す時期を逸したこと

について起訴されたのである。しかし2の罪状は沈没からほとんど時間が無かったことを考えると艦長の責任を追求するのは困難である。結局裁判は魚雷攻撃を受けたことが艦長の責任かどうかという点を追求することになる。

 アメリカ海軍は第二次大戦で700隻の艦艇を喪失したが、艦の喪失の責任の追及を受けた艦長はマクベイ艦長が唯一の例である。そしてアメリカ海軍はマクベイ艦長の裁判に多大な入れ込みを行う。圧巻だったのが雷撃を行った伊58の艦長、橋本以行中佐を召還させ裁判で証言させたことであった。
 敵国の指揮官を戦後「戦争犯罪人」の被告として裁判にかけることは多くの例があるが、攻撃を行った敵対国の指揮官を自国指揮官の「戦闘行為」の責任を問う軍法会議の「証人」として出廷させるというのは空前の出来事であった。現在でもこの召還は「橋本中佐の戦争責任」を問うためであったと考えるむきもあるようであるが、橋本中佐はあくまでもマクベイ艦長の責任を問うための「証人」として出廷したのである。

 橋本中佐は裁判に伴う予備尋問で「インディアナポリスと伊58の位置関係であれば之字運動をしていても魚雷回避は困難だった」と証言している。しかし本裁判ではこの証言をする機会は無く、無為のまま帰国することになるのである。この点をみてもやはり米海軍はマクベイ艦長に責任を負わせたかったとみるべきだろう。

 なぜそこまでマクベイ艦長に責任を負わせなければならなかったのか?想像するしかないのであるが「戦争を終わらせることに功績のあったインディアナポリス乗員の怒りをマクベイ艦長に負わせざるを得なかった」のではないだろうか。インディアナポリス乗員には太平洋戦争で華々しい戦果をあげたスプールアンス率いる機動部隊の旗艦としての誇りがあった。そして戦争を終結させるための決め手「原爆」の輸送にも尽力したのに終戦直前に必要のない回航を行いその途中に魚雷を受け、海軍の不手際で助かる命が失われた…。戦争を終わらせた殊勲者が無為に命を失ったことに対する怨嗟を鎮めるためには「スケープゴート」が必要だった…。ということではなかったろうか?
 かって日本海軍が起こした「美保関事件」で巡洋艦「神通」艦長、水城圭次大佐が自決したが、そういったことを米海軍は望んだ…。確証は無いがこの事象は結果として同じ状況をたどることになってしまう。

 マクベイ艦長の裁判は罪状のうち1の点は有罪、2の点は無罪ということになったが、米海軍上層部の嘆願により裁判は中止されマクベイ艦長は逮捕を中止、現役海軍軍人として復帰させる採決となる。おそらくスプールアンスなどが運動した結果だろう。しかしマクベイ艦長は特に軍務に付くことなく4年後に退役している。退役後もマクベイ元艦長には元インディアナポリス乗員等の責任追及の声はやまず、苦悩した彼は1968年にピストル自殺を遂げてしまうのである。

 マクベイ艦長の自殺から7年後、映画「ジョーズ」が封切られる。この映画にロバート・ショウ演じる鮫に恨みを持つ漁師「サム・クイント」が登場し、かってインディアナポリスに乗り込んでおり、沈没後の惨状が彼に鮫への憎悪を植え付けさせたという描写が描かれている。この描写を見た当時12歳のハンター・スコットはこのことを調査し、さらに元インディアナポリス乗員の証言等、さらに軍法会議での橋本中佐の予備審問での発言が再発見され、それを受けてマクベイ艦長の名誉回復運動が高まり、2000年ついに米国議会で「インディアナポリス沈没に関して、チャールズ・B・マクベイⅢ世艦長の責任は無く無罪である」とする決議が採択され、当時のビル・クリントン大統領が採決にサインを行う。インディアナポリス沈没から55年、ようやく彼の無罪は証明されることになる。同じ年の10月25日、元伊58艦長橋本以行氏が亡くなっている。

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インディアナポリスの最後の勇姿。サンフランシスコ出航直前の7月10日撮影。吃水がかなり浅く出航準備前の状態を撮影したものと思われる
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by narutyan9801 | 2013-08-08 09:59 | 妄想(人物) | Comments(1)
Commented by おさんだん at 2015-12-02 17:53 x
アメリカで映画化され、ビデオをレンタルして観ました。日本にも「陸奥爆沈」もありますが、タイトル忘れたけど、見応えありました。