鼈の独り言(妄想編)

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加藤老事件 ~事件発生から再審無罪まで62年を要した冤罪事件~

 誰かが犯した罪が無関係の他の人物が犯したものと思われ処罰されてしまう「冤罪」現在でも「痴漢冤罪」が問題化するなど、根本的に人間が「罪」というものを犯さなくならない限り無くならないものかもしれない。今回は事件発生から実に62年後に冤罪として認められ「無罪」となった「加藤老事件」を考察したい。

 その事件は1915年7月11日に発生している。この日の朝現在の山口県下関市で男性の遺体が発見される。男性は全身を刃物で切りつけられるという残忍な方法で殺害されていた。この男性は金をため込んでいるという評判が立っており自宅には荒らされた形跡があった。警察は調査を行い、事件当夜に男性と口論をしていたという目撃情報を得、犯人Xを検挙する。

 Xは取り調べに対し自分は殺害を手伝っただけであり主犯は被害者と同業の夫婦であると供述する。警察はこの夫婦も逮捕し拷問を含む取り調べを行ったが、当日夫にアリバイがあることがわかり夫婦は釈放される。夫婦の釈放後Xは同じ村に住むK(実名は伏せる。事件当時24歳)が主犯であると主張、Kは逮捕されることになる。Kは両手の人差し指と腰の骨を折られるほどの拷問を受けながらも容疑を否認するが、血痕のついた父親の服と藁切り刀が物証となりXと共に起訴、大審院(現在の最高裁判所に相当)まで続いた裁判の結果両人ともに無期懲役を言い渡される。

 Xは服役中1918年に獄死し、Kは模範囚として服役し服役中にも関わらず少年刑務所の職業訓練の指導を任されるなどし1930年に出獄する。出獄から三十数年後、Kは吉田岩窟王事件(事件後50年を経て再審無罪判決が出された事件)を聞き、独力で4回再審請求を行ったがいずれも却下されている。1972年に日本弁護士連合会が事件調査を行ったが事件発生から年月が経って新事実が出てくることはないと支援を一度は断念していた。しかし1975年の「疑わしいときは被告の利益に」という白鳥決定があり支援を再開、6回目の再審請求は受理され、事件は60年ぶりに再調査が行われることになった。

 そもそもこの事件は警察が誤認逮捕という不祥事を犯しているにも関わらず再度Xの供述を元にKを逮捕するという不可解な展開から始まった。これは犠牲者の外傷が全身を刃物で切られるという凄惨な殺害方法であり、警察側が「犯人は複数」という先入観を持ってしまっていた可能性が高い。そして杜撰な捜査状況が再調査で明らかになる。
 大きな物証となった凶器の藁切り刀の再調査では遺体の外傷は凶器とされた藁切り刀とは一致しないという鑑定結果が得られている。鑑定を行った上野正吉東京大学名誉教授は「今までに一度も法医学的な再鑑定が行われなかったのは弁護士の怠慢である」と言い切っている。
 さらに事件当時着ていた服の血痕鑑定を行ったとされる医師が証人になったことはないと話し、血痕自体が検察側のでっち上げの可能性が指摘された。しかし裁判の調書は1932年に判決文を除き処分されており、当時の調査の全容を明らかにすることは不可能であった。

 1977年7月7日、広島高裁で判決が言い渡され、共犯者の供述は信用できず、物証の証拠価値はないとKには無罪の判決が言い渡された。事件発生から実に62年、Kは86歳になっていた。Kはその後国に対し国家賠償請求訴訟を起こすが、判決前に89歳で死去、判決も却下されている。
 現在の弁護制度であればまずここまでの冤罪は起こり得ないと思われるが、拷問による自白強要、こうでなければおかしいだろうという先入観が入った捜査など当時の司法のあり方を考えさせられる事件である。
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by narutyan9801 | 2013-07-03 11:55 | 妄想(事件・事故) | Comments(0)