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鼈の独り言(妄想編)

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ジョシュア・ノートン ~アメリカ合衆国皇帝を僭称した男~

 ほとんどの男性(女性でもおられるとは思うが)「皇帝になりたい」と思ったことがあるだろう。普通は諸々の事情で実現することができないものである。ところが「自分は皇帝なんだ」と本人が信じてしまう精神状態になってしまい、周囲が寛大にもそれを認めてしまうと「皇帝」が(自称者周辺に限り)形成されてしまうことがある。今回は実際に存在した「アメリカ合衆国皇帝僭称者」ジョシュア・ノートンを考察したい。

 ジョシュア・ノートンはイングランド出身で幼い頃南アフリカに移住したことがわかっているが、正確な生年月日は不明である(1819年2月4日生まれという説がある)1849年に父から引き継いだ遺産4万ドルを手にサンフランシスコに移住したノートンは不動産業を起業し一財産を築くが、米の先物取引に失敗し破産、失意のノートンはサンフランシスコから姿を消してしまう。そして一年後にサンフランシスコに戻ってきたノートンは突飛な行動に出るのである。
 一年間の失踪を「自発的亡命」だったとノートンは語り、合衆国の現政治体制(連邦共和制)には著しい不備があり、自らが皇帝に即位し絶対君主制に改めるべきだと主張、「大多数のアメリカ国民の支持により(実際には支持どころか認識もされていなかったが)、皇帝に即位する」という即位宣言書を複数の新聞社に送り付けたのである。ほとんどの新聞社はまともに取り扱わなかったが、ただ一社この即位宣言を「ジョークのつもりで」掲載する。こうしてジョシュア・ノートンは(自称)ノートンⅠ世として即位することになる。

 ノートンの精神状態は現在で言うところの「総合失調症」であったのではないかと思われている。ただ、誇大妄想にとらわれていても、彼本来の穏和で争いを好まない性格は失われておらず、精神的な疾患にはかかっていなかったのではないかと見方もある。争い事が嫌いなノートンは南北戦争中何度か戦争を停止すべく勅令を発しまた中国系労働者に対するデモで衝突が起きそうになった現場に居合わせたノートンはデモ隊と鎮圧隊両者の間に立ち祈りを捧げて衝突を回避させた話も伝わっている。そうした行動の半面自分が破産に追い込まれたのは連邦議会にあると思いこんでいたノートンはしばしば勅令で議会の解散を宣言している。

 「献上された」金モールのついた青い軍服とビーバーの皮で作ったシルクハットに羽根飾りを付け、二頭の愛犬をお供にサンフランシスコを歩くノートンⅠ世をサンフランシスコ市民は「暖かく」見守った。彼が困窮して発行した「紙幣」や「国債」も市民の多くが受け入れている。ただすべての市民が寛大だったというわけではなく、ノートンを精神病院に入れようと警官が拘束するといった事件も起こっているが、こうした事件は市民の抗議によって解決することがほとんどだった。行政も彼には寛大で、国勢調査でのノートンの職業の欄には「皇帝(emperor)」と記入されている。もし市民の支持がなければ、ノートンは人格も崩壊し廃人に陥ってしまったのではなかろうか。彼の勅令には先見的な意見もいくつかみられ、ゴールデンゲートブリッチなど彼の勅令が現実のものになった例がいくつかある。こうしたノートンの姿から「彼は本当にどこかの貴族や王侯の血筋のものではないか?」との憶測まで流れるようになる。

 1880年1月8日、ノートンⅠ世は講演に向かう最中突然倒れ、病院に向かう馬車の中で「崩御」する。死後彼の財産を調査したところ現金が10ドルほどしか無かった。サンフランシスコ市民は彼の葬儀のため寄付を募り、立派な葬儀が行われ、彼の葬儀には3万人が参列したと言われている。彼の墓碑には「ノートンⅠ世、合衆国皇帝、メキシコの庇護者」(彼は当時アメリカと国交が無かったメキシコの「護国卿」の地位も望んでいた)と刻まれている。

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                      アメリカ合衆国初代皇帝 ノートンⅠ世
by narutyan9801 | 2013-06-03 08:57 | 妄想(人物)