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鼈の独り言(妄想編)

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ルドルフ・ディーゼル ~謎の死を遂げたディーゼルエンジンの生みの親~

 内燃機関にはいろいろな種類があるが、現在高トルク低回転数が必要で機関自体が大型でも構わない用途に使われる内燃機関で主流となっているのは「ディーゼルエンジン」である。今回はこのディーゼルエンジンの発明者「ルドルフ・ディーゼル」を考察したい。

 ルドルフ・クリスチアン・カール・ディーゼルは国籍はドイツ人であるが、生まれはフランス・パリである。ディーゼルの両親はバイエルンからパリに移住したドイツ人でありディーゼルは幼少時代をフランスで過ごすが、普仏戦争で一家はフランスから退去させられることになる。一家はロンドンに移住するが、ディーゼルは母国ドイツに移り工業を学ぶ道を選択する。1880年にミュンヘン工科大学を主席で卒業後、ディーゼルはパリに戻り製氷工場の設計・建設を手がけるようになる。ディーゼルはフランス語とドイツ語両方に堪能で、両国から技術特許を取得することができ、このことは単に仕事上の利点だけでなく両国の技術を同時に学べるという利点もディーゼルにもたらすことになる。

 ディーゼルは冷凍に関する仕事の関係上熱効率の向上に着目していた。この頃のエンジンは蒸気機関のみといってよく、水を沸騰させ水蒸気とし膨張した容積を利用してピストンを動かすという蒸気機関の仕組みにディーゼルは改良を加えようとする。彼は水より沸点が低いアンモニアに着目しアンモニアを使った蒸気機関を開発するが試運転で爆発事故を起こしディーゼルは重傷を負ってしまう。この事故でディーゼルは既存の蒸気機関の改良ではなく、新たな動力機関を開発することを決意することになる。
 努力の結果1893年にディーゼルは新しい内燃機関の論文を発表しこの機関の特許を1893年に取得する。彼の研究にドイツの企業マンAGが興味を示し、内燃機関の熟成のバックアップを行い、1900年にはパリ万博に開発された内燃機関を出展する。当初この内燃機関は「オイルエンジン」と呼ばれていたが発明者の名前を取り「ディーゼルエンジン」と呼ばれるようになるのである。

 ディーゼルエンジンの特徴は圧縮して高温になった空気に燃料を噴射して自然発火させ、その膨張を動力にすることでほぼ同時期に実用化されたガソリンエンジンと違い発火装置(プラグ)を必要としないことであった。さらに燃料に関しても液体燃料であればかなり広範囲の燃料が使用できる利点があった。パリ万博ではピーナッツから取った油を使用してエンジンを動かしている。この特徴がディーゼルの人生を左右することになるのである。

 ディーゼルエンジンは蒸気機関に勝る効率と、常温下では発火しにくい燃料を使用できることから軍用としても有用なエンジンであった。軍用として使用されるエンジンとなれば機密事項扱いとなる場合も多い。しかしディーゼルは自らの発明が機密扱いになることを好まなかった。彼が残した言葉に「偉人は自分一人のためではなく、多くの人々のために、この世に生を受けたのである」というものがある。彼自身は自らの発明であるエンジンで名声を得ることはできる。しかし自らの発明したエンジンは多数の人々に使われてこそ有為のものである。そんな気持ちを込めて語った言葉にも聞こえる。しかしイギリスとディーゼルの母国ドイツは次第に対立してゆき、ディーゼルは苦悩するようになる。

 1913年9月29日夕方、ディーゼルはイギリスで会議に出席するために船に乗り込み、翌朝起こしてくれるよう手配して自室に戻ったが、翌朝には船のどこにも彼の姿は無かった。失踪から10日後、ノルウェーの沖合で浮かんでいる遺体をオランダ船が発見する。遺体は痛みがひどく回収することもできなかったが、遺体が身につけていたものは回収され、ディーゼルの父親がディーゼル本人のものと確認、彼は死亡した…、となっている。彼の死は自殺、他殺様々な憶測があり、現在に至っても真相は分かっていない。そして永遠に謎のままだろう。ディーゼルの死の翌年、ディーゼルエンジンを装備したドイツのUボートが参加する第一次世界大戦が勃発している。
by narutyan9801 | 2013-05-29 09:29 | 妄想(人物)