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鼈の独り言(妄想編)

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モササウルス ~戦利品から分かった恐竜時代の「海トカゲ」~

 現在海洋の生態系の頂点に君臨している動物はほ乳類のシャチと魚類の大型サメ類である。しかし今から6500万年前の海ではシャチは存在しておらず、現在のシャチのニッチを別の動物が占めていた(サメは現在のホホジロサメと同じぐらいの大きさのスクアリコラックスが生息していた)今回は白亜期の海の王者、その最後を飾った海トカゲ「モササウルス」を考察したい。

 モササウルスは中生代白亜期の最後の時代、約7800万年前から6500年前に海に生息していた大型は虫類である。白亜期以前の海には魚やイルカの体型に近い魚竜やプリオサウルスなどの首長竜が繁栄していたが、ジュラ期に起こった海底火山運動の影響で生態系が崩れ(魚竜や首長竜の主な餌だったイカなどの軟体動物が激減したためと言われている)海洋爬虫類のニッチに隙間が生じていた。そこに入ってきたのがモササウルスの仲間である。
 モササウルスの化石が初めて発見されたのは1764年、現在のオランダのマーストリヒト市近郊の採石場である。最初の発見から10年後に発見地の近辺から部分的な頭部の化石が発見される。当時のヨーロッパはキリスト教の教義に縛られない自然科学の思想が広まってきており、発見された化石も古代に生きていた動物の骨ではないかと認識もあったが、結局この化石は教会が保管することになった。
 発見から約20年後、マーストリヒトはフランス革命軍に占領される。この際この化石は教会にあった600本のワインと共にフランス軍に接収されてしまう(ちなみに当時ワインの醸造は教会の重要な仕事であった。神事に使う分もあったが、副収入源であったことはいうまでもない)ワインはまず間違いなく胃袋におさまっただろうが、接収された化石はフランス本国に持ち込まれる。化石にとって幸か不幸かは分からないがフランスには分類学の権威ジョルジュ・キュヴィエがいたのである。キュヴィエはこの化石を調べ、以前から指摘されていたトカゲとの共通点に着目し、この骨の正体は未知の海洋爬虫類と結論づけた。この化石はキュヴィエにより1822年に「モササウルス」と命名される。発見地がマース川の近くだったため「マース川のオオトカゲ」という名前が与えられた。個人的な感傷で申し訳ないのだが、教会で「ノアの箱船に乗り損ねて死んでしまった動物の骨」として鎮座していたほうが化石にとっては幸せだったかもしれないとも思える。

 古代の動物はその進化の過程が不明で系統が立てられないものが多いが、モササウルスはその進化の過程がかなり解明されている珍しい例である。彼らの祖先は白亜期前期にヨーロッパに生息していたオオトカゲ「アイキアロサウルス」が祖先と思われている。系統からみるとモササウルスは一番最後に現れた仲間なのであるが、その知名度によりオオトカゲから海に進出したトカゲ類を「モササウルス科」として分類している。
 モササウルスの体の大きな特徴は下顎で、先端部が分離しており左右に広げることができるような構造になっている。これは現在のヘビ類が持っている構造と同じで、ヘビの祖先がモササウルス類ではないかとの説もある(地中性に移行したオオトカゲからヘビに進化したという説もあり今のところ結論はでていない)この大きく広がる口を利用してモササウルスは手当たり次第口に入る動物すべてを補食していたらしい。また発見された個体には仲間同士で噛み合ってできた傷を持つ個体が多く発見されており、海の中では相当血なまぐさい抗争が行われていたものと思われる。
 海の支配者となったモササウルスではあったが、中生代白亜期末の大絶滅を逃れることはできなかった。モササウルスは地上の恐竜、海の首長竜、アンモナイトと共に姿を消すことになる。モササウルスが生きていた中生代白亜期の最後の時代はモササウルス発見地の名前を取ってマーストリヒチアンと命名されている。

 ジョルジュ・キュヴィエが鑑定したモササウルスの第二標本化石であるが、その後詳しい調査は行われず、150年以上も保管されたままになっていたが、近年再調査が行われ、その結果化石になった個体は推定体長18mに達する個体であったことが判明している。これは知られている限りモササウルスの仲間でも最大の個体であり、完新生(4万年前から現在)に絶滅したといわれるメガラニアを凌ぐ史上最大のトカゲであったことは間違いないだろう。
by narutyan9801 | 2013-04-05 14:11 | 妄想(生物)