鼈の独り言(妄想編)

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梅毒 ~悪名高く、謎多き性病~

 現在40代の方々が思春期時代に読んだであろう性教育の書籍はまだエイズが広まる以前の情報であったため「性病」の項目の一番最初に書かれていた病気はおそらく「梅毒」であったろうと思う。しかしこの梅毒、病原体の遺伝子ゲノムの解析が終わっているにも関わらず、由来やなぜ発病するか等のメカニズムがわかっていない病気なのである。今回はこの「梅毒」を考察してみたい。

 梅毒はスピロヘータの一種である梅毒トレポネーマの感染により発症する病気であるが,この梅毒トレポネーマは培養技術が現在まで確立されておらず、どのようなメカニズムで病気になるかがわかっていない。この梅毒トレポネーマ、何故かウサギの睾丸内では培養が可能である。ウサギの睾丸では培養できるのも不思議だが、睾丸内に入れようとした研究者もよっぽどな人物だったろう。

 また昔の話になって恐縮だが、梅毒は15世紀末、突然ヨーロッパで流行したのだが、それ以前は感染の記録が残っていない。どういう経緯か分からないが自分の思春期時代「梅毒は元々羊の病気で、誰かが羊と獣姦し広まった」という一種の都市伝説が流行ったことがある。梅毒は病状が進むと骨にゴム状の腫瘍ができるので病変が起こった骨は残るはずであるが、ヨーロッパやアジア地域では梅毒によると思われる病変は最初の流行以前には確認できない。一方アメリカ大陸の先住民には梅毒の症状がみられる人骨が発見されている。最初の流行の前後にはコロンブスの新大陸到達があり、現在考えられているのはコロンブスの新大陸発見によってアメリカ大陸を訪れたものが現地で梅毒に感染し、それがヨーロッパに持ち込まれ最初の流行に繋がったというのが現在支持されている説である。
 梅毒の日本での最初の記録は1512年の記録である。コロンブスの新大陸到達からちょうど二十年目のことであり、わずか二十年で地球を半周以上してしまったことになる。当時の日本では戦国時代で、多くの武将が梅毒に感染し命を落としてる。梅毒で亡くなったと思われる主な武将は、結城秀康(徳川家康の次男)加藤清正、前田利長などが梅毒で亡くなったと考えられている。江戸時代に入ると性風俗を通じての梅毒感染者は後を絶たず、近藤勇の義父近藤周平は弟子たちに遊女遊びでは梅毒に気をつけるよう言い聞かせていたとの証言がある。明治に入っても初代三遊亭圓朝が梅毒により亡くなっている。

 偶然かどうかは分からないが、梅毒を患った音楽家というのが以外に多い。シューベルト、シューマン、スメタナなどが梅毒に罹患している。ベートーヴェンも先天性梅毒により難聴を患ったという説もあったが、現在は梅毒説は否定的である。

 梅毒は進行すると死に至る病気のため、様々な治療法が試みられ、かなり危険な治療法も存在した。水銀を用いる水銀療法や砒素を用いる療法である。砒素を用いた療法は後に砒素から作られるサンバルザンが実際に効果があったが現在は副作用が強すぎるため用いられていない。
 さらに特異な治療法としてマラリア療法があった。梅毒トレポネーマは熱に弱く、マラリア感染により体温の上昇した人体内では生存できない。このため人工的にマラリアに感染させ、梅毒トレポネーマの死滅後、マラリアの特効薬キニーネでマラリアを治療する、まさに「毒を以て毒を征する」治療方法である。実際に梅毒の進行で東京裁判中東條英機の頭を叩くといった異常行動のため釈放された大川周明はマラリア療法を受け、石原莞爾の最後を看取るまでに回復している。ただあまりにも危険な治療法なのでこちらも現在は用いられていない。

 効果的な治療方法がなかった梅毒であるが、第二次大戦後民間でも用いられるようになったペニシリンに効果があることが分かり、現在では梅毒で死亡する人は希になっている。しかし感染者は少なくなっているものの撲滅にはいたらず、今後抗生物質に耐性をもったものが現れることもありうる。まだまだ人間にとって梅毒は潜在的な脅威を持った病気といえるのである。
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by narutyan9801 | 2013-04-03 08:52 | 妄想(病気) | Comments(0)