鼈の独り言(妄想編)

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宥和に賭けた男 ~ネヴィル・チェンバレン~

 近代史を学ぶ際、第二次大戦の勃発は1939年9月3日のイギリス・フランスの対ドイツ宣戦布告からであるとどの教科書にも載っている。事実はその通りであるが、状況によっては勃発が数年遡ることも有り得たと自分は思う。この「開戦が遅れた理由」の中心人物が冒頭で上げたイギリス第60代首相、ネヴィル・チェンバレンである。

 チェンバレンは1869年生まれ。父ジョセフ・チェンバレンは実業家から政界に転じた人物で、父の死後チェンバレンは実業家からバーミンガム市長を経て政治家の道に入る。大蔵大臣などの要職を歴任したチェンバレンは1937年首相の座に就くのである。チェンバレンの政策の特徴は子供や女性の労働時間の規制、有給休暇に関する法制定など労働者の保護政策が多かった。これは父の実業家時代に労働条件を優遇し業績を上げたことを間近で見ていた影響も大きいが、一方ではイギリス経済の停滞も影響していたと思われる。世界恐慌の影響により世界の経済は流通通貨単位のブロック経済化が進んでいた。海外貿易よりも内需により経済活動を維持しようとする政策であるがイギリス国内の需要ではブロック内経済の維持は困難で行き詰まりを見せていた。しかしより大きな影響を受けていたのは海外の植民地を第一次大戦で失っていたドイツである。このとき政権を掌握していたヒトラーはアウトバーンに代表される大規模な公共事業を起こし失業者問題をを一時的にしろ解決したのち積極的な海外進出によりドイツ経済圏を広げ経済問題を解決しようとしていた。

 1935年、再軍備を宣言したドイツは翌年非武装地帯であったラインラントに進駐、隣接するフランスは何も対処せず、イギリスも結局は黙認する。両国の反応に気をよくしたヒトラーは更なる領土獲得を模索する。1938年ヒトラーはオーストリアを併合、さらにチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を要求、一旦はドイツがフランス・イギリスとの戦争を危惧し緊張が解かれるが世論が「チェコスロバキアがドイツの要求を突っぱねた」と反応し、ヒトラーはチェコスロバキアへの圧力を強めてゆく。
 この事態を打開すべくチェンバレンは自らドイツに乗り込みヒトラーと直談判を行うが交渉は難航、イタリアのムッソリーニの仲介によるミュンヘン会談でズデーテン地方の割譲その他が合意に達し、世界大戦の勃発は一旦避けられることになった。

 会談に参加したチェンバレン、フランスのダラティエ、ムッソリーニは戦争を回避した英雄とされ、ヒトラーは軍事的恫喝の有効性に自信を深めていた。一方の当事者のチェコスロバキアは会議に参加すらできず、会議の結果のみチェンバレンから伝え聞くことしかできなかった。そしてこの半年後、残されたチェコスロバキアもドイツその他周辺国に分割併合され、ミュンヘン会談の意義は失われてしまう。さらに1939年9月3日、ポーランドに侵攻したドイツに対しイギリスは宣戦布告、以後6年に及ぶ第二次世界大戦に至るのである。

 チェンバレンの宥和政策は結果としては無に帰すものだった。ただ、第一次大戦から20年もたっておらず、戦争の記憶が生々しく残っており「戦争回避」を念頭に置いた外交を行うことこそがチェンバレンの信念だったろう。チェンバレンの誤算は交渉の相手が「海外領土獲得」に信念を持つ人物で、その真意を何度も顔を合わせたものの見抜けなかったことであろう。
 1939年9月3日のドイツ宣戦布告後、チェンバレンはラジオ演説でドイツへの宣戦布告を英国民に報告し、ドイツと戦争状態なることを告げる。戦争の初期ではドイツとフランス・イギリス間には大きな戦闘は起こらなかった。チェンバレンは密使をドイツに送り交渉を続けるが翌年ドイツがノルウェーを占拠、ノルウェー王室がイギリスに亡命すると本格的戦闘は避けられない事態となり、チェンバレンは首相を辞任、跡を継いだチャーチル内閣は挙国一致内閣としてチェンバレンも枢密院議長として政府に残ることを要請されたが、程なく病のため辞任、バトル・オブブリテンの闘いの中、1940年11月9日に胃癌で亡くなっている。

 チェンバレンの評価はやはり第二次大戦を避けられなかったことで低いままである。しかし第二次大戦の勃発をチェンバレンが避けえたかどうかとなると「No」であろう。ヒトラー自身も述べているが、ラインラント進駐の際フランスの介入があればドイツは撤収せざるをえず、その後の歴史の流れも変わっていたであろう。この時の当事者はフランスであり、チェンバレンにはフランスの出方次第の対応しか術はなかった。ミュンヘン会談時もイギリス・フランスからみれば対岸の火事であり、国民が命を懸けて他国民の危機を救う意識はほとんど無かった。だからこそチェンバレンは会談後戦争回避の英雄とされたのである。現在の評価はやはり不当に低いものではなかろうか?
 最近、イギリスのチェンバレン評価で面白いものを耳にしている。曰く「チェンバレンが一年間戦争を遅らせてくれたため、スピットファイアが間に合いバトル・オブ・ブリテンに勝つことができた」というものである。なるほど。そういう評価もできると感心させられた。スピットファイアを含め、バトル・オブ・ブリテンが好転するところまでをチェンバレンが見届けたかは定かではない。「我有利になりつつあり」ということを知ってから旅立ったものであると思いたい。
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by narutyan9801 | 2013-02-22 04:50 | 妄想(人物) | Comments(0)